肉便器のエロさの正体

主に男性の非モテな話題に寄ってくる女性の方の書き込みを見てたら、なぜか、「黒人女を犯るのはすごく燃える」と言ってた知り合いの白人男性(made in USA)のあの独特のにやけ顔を思い出した。ああ、そうだ、The Civil War以前のアメリカでは、黒人奴隷の女性を買う前に、膣に指を突っ込んで、具合を確認してから購入することがよくあったみたいなことを、その白人男が言っていたのを思い出したぞ。知り合いとしてはともかく、お友達にはなりたくないタイプ。
優位な立場から、異性と接すると、普通の恋愛とかセックスでは得られない種類のエロさが得られるのかな。
残っている文献なんかから、中世ヨーロッパにおいては、メイドが性的奉仕もするというのは、実際によくあることだったようですし、ローマ時代にも、美しい女奴隷をつれて宿の自分の部屋へ消えていく裕福な男性が羨ましがられたとかいう話が残っているらしいし。
んー。そういえば、知り合いの会社の社長(既婚)が、まだ入社して間もない女性社員の仕事のやりかたを、メーリングリストで派手に罵倒した、その日の夕方に、その女性は、社長とラブホへ行ってたな。このときも、同種のエロチシズムのあるセックスが行われたかもしれない。
喪女板に張りつく男性の気持ちにも通じるものがあるんだろうな。
ああ、いま、やっと匿名掲示板でたまに目にする「肉便器」という言葉の意味が分かった気がした。それは、宮崎アニメのヒロインの中で、カリオストロの城クラリスを最高位に位置づけるオタク君たちの心理と同じなんだ。
ぼく的には、強くて賢くてタフな精神をもつ、決断力と行動力のある女性が好みなので*1未来少年コナンのラナとかラピュタのシータとかナウシカとかが好みで、クラリス派じゃないので、いまいちピンときてなかったんだけど。
ようは、肉便器というのは、受け身なわけですよ。便器というのは、道具ですからね。道具というのは、自分が使うもの。「使う」というのは、自分がコントロール(制御)できるということ。自分の意志のとおりに動かせるということ。相手の自由を奪うことによって、相手を自分の自由にできるということ。つまり、相手の自由が減ったぶんだけ、自分の自由が増えているということ。
そういえば、日本の商法では、取締役以外の社員は「使用人」と定義されていたな。使用人というのは、使われる人。使用人は、自由を会社に売り渡して、その対価にサラリーを受け取る。会社は、使用人から買い取った自由を使って、ビジネスを組み立て、運用するわけだ。会社というのは、社員が会社に売り渡した自由によって組み立てられた構造なわけだ。
つまり、ラナ、シータ、ナウシカは、肉便器の対義語なわけだ。彼女たちは、強い意志を持っているわけで、その自由を奪って自分の思い通りにはできない。それと対極にある肉便器な女性というのは、自分のからだを相手が自由に使うことを許してしまった女性。
あ、それでまた思い出したぞ。そういえば、以前、ハイティーンの女の子たちと合コンしたとき、ゲームにかこつけて、女の子たちの初体験をしゃべらせたことがあったんだけど*2、女の子たちの半分以上が「使われちゃった」という表現をしていたな。その、「使われちゃった」という言葉のニュアンスは、「やりたいだけの男に、巧妙に言いくるめられて、あるいは、勢いに押し切られて、やられてしまった。」というものだった。つまり、自分の身体を自由に使われちゃった、と、悔しそうに言ってたっけ。
つまり、このエロチシズムは、「自由と支配をかけた闘争」と「性欲」が掛け算されて(シナジー)、部分の総和以上の快楽をもたらしているものなんだ。
ああ、これは、ショタコンロリコンの構造とそっくりだな。いや、別の意味で。小犬、子猫、幼い子供を見ると、純粋に、かわいい(cute)、と思う気持ちが生じる。その「かわいい(cute)」と、「異性を魅力的に感じる気持ち」が掛け算されて(シナジー)、部分の総和以上のエロチシズム、快楽をもたらすんだ。
いや、それだけじゃ片手落ちだ。便器、すなわち、道具を使う人間は、その道具を自由に使用する「使用権」を持っているだけでなく、その「所有権」を持っているんだ。以前、個人向けに、自動車を数年間借りれるサービスがあったけど、自分でその自動車を買い取り、所有するより、割安なサービスにもかかわらず、あのサービスは、あまり人気がでなかったような。金銭的には、そっちの方が、有利で合理的でも、自分の「所有欲」を満たしてくれないからか。いまだにマイホームを持ちたいとか言っている人の心理か。
ということは、肉便器、という概念に含まれるエロチシズムというのは、ある女性を自由に使用するだけじゃなく所有する欲求も満たすわけだ。完全支配なわけだ。
これは、萌えな美少女キャラで自慰する男性とどこか通じるんじゃないのか?脳内の萌えな少女は、自分の自由になる。それは、脳神経回路にコーディングされたソフトウェアにすぎないから、そのソフトウェアプログラムを、「自由」に書き換え、自分の「自由」に動かすことができるわけだ。
でも、そうすると、昔からある、お決まりの矛盾に直面するな。自分の自由になるもの、というのは、自分の支配下にあるものなんだ。自分の支配下にあるものというのは、自分より劣ったもののわけで、自分より劣ったものに認められ、敬意を払われても、自尊心は満たされない。自分の価値を実感することはできない。自分が、その価値を認める人間に、自分の価値を認められてこそ、人間はプライドが満たされ、誇りに思うんだから。ああ、あのマンガだ、「最強伝説黒沢」だよ。黒沢は、すごくショボイ男に支持されるんだけど、そのすごくショボイ男の支持しか得られない自分が情けなくって、というシーンがある。自分だけじゃなく、だれしもが認めるすごいヤツ、その業界とか、社内でみんなの尊敬を勝ち得ているヤツに、「おまえはすごい」とか言われると嬉しいもんね。だけど、すんごく頭が悪くって、仕事もできないやつに、「すごいですね」って、言われたときって、「あっそ」って感じで、たいして嬉しくない。
ということは、自分の自由になる肉便器な女性を彼女に持つ男性や、萌えな美少女キャラで異性への欲求を満たす男性というのは、十分に自分の自尊心が満たされていないわけで。
で、普段から、十分に自尊心の満たされていない人、というのは、自分に自信がなく、「自分に価値がないことがバレてしまうのではないか」と、いつもビクビク怯えている。だから、やたらと被害妄想で、ちょっとのことにビクついて吠えまくり、噛みつく小型犬みたいになる。ちょっとでも自分を否定されかねないようなニュアンスや兆候を見つけると、うろたえて吠えまくり、噛みつく。でも、噛みつかれた相手は、もともと、とくに人格を否定したり攻撃したり虐待したりしたかったわけでもなんでもないので、「なんでいきなり噛みつくんだ? なんでそんなことぐらいでなんでそんなにマジに怒るんだ?」とか、不思議に思うわけだ。
なるほど。でも、まあ、それは、肉便器ばかりを主に対象にした場合の話で、趣味で肉便器な女性と付き合うなら、問題ないわけだな。つまり、完全なゲイだと、子供ができないという問題が生じるけど、両刀遣いできるゲイなら、子供ができるので問題ないどころか、むしろゲイでもある分だけ、自分の価値観の幅を広げられるわけで。また、仕事とかNPOのボランティアとか、他のところで、自分の自尊心が満たされていればいいわけだ。
ということは、萌えも同じだ。萌えonlyなのが問題なだけであって、普通の女性と普通の異性関係を結ぶのもやっていれば、いくら自分の部屋が萌えな美少女キャラのフィギュアとポスターで埋めつくされていても、とくに問題はない、どころか、むしろ、自分の人間の幅も広げると。また、リアルな女性に相手にされないので萌え美少女に逃げ込んでいるオタク君でも、じつは、会社では腕利きのプログラマーで、みんなに認められているとか、LinuxとかApacheとか、オープンソースコミュニティーで、「顔」だとか。ああ、あれだ。Homesteading the Noosphereだ。ノウアスフィアの開墾だ。ノウアスフィアの開墾には、そういう意味もあったんだな。
なるほど。これは、オイラが、萌え美少女キャラのフィギュアを堂々とと自分の部屋に飾るための屁理屈として使えるな。さっそく、この理屈をぼくの彼女に主張して、ぼくの個室を、萌えフィギュアで飾ってみよう。*3

*1:いまのぼくの彼女も典型的にそういうタイプ。のろけを言うなら、その、気高いライオンのような獰猛な精神に惚れ込んでいる

*2:はい、そうです、わたしは、そういうヒキョーなことをする男です

*3:ライオンとの戦いになるわけです。たいていは勝てませんけど、たまには、ぼくが勝つこともあります。