はてなのユーザインタフェースが使いにくいのは企画ができていないから

じゃね?
つまり、企画が定まっていないから、ヨーロッパの都市のように都市計画的にデザインすることができなくって、東京のような都市になっちゃう。
企画という作業って、自分探しの旅みたいなところがあって、企画しながら、自分が何を企画したいのか、なにを企画すべきなのか、を見いだしていく作業。商品やサービスのアイデンティティ探しの旅なわけだ。あらかじめ、何を企画すべきか、つまり商品のアイデンティティが分かっていたら、そもそも、企画屋があんなに髪振り乱して、徹夜してがんばる必要などない。企画でいちばんたいへんなのは、アイデンティティの構築という作業。人生において、自分自身が何者であるかを見いだし、自分自身の居場所を見つけ、自分のアイデンティティを構築するのが、たいへんな作業であるのと同じように、その商品が何者であるのかを見いだし、その商品の居場所を見つけ、アイデンティティを構築するのは、マジたいへんだ。*1
で、企画屋が、どのような企画にしていいのか、よくわからないとき、「とりあえず企画して、商品を作って、売ってしまってから、どのように企画すべきか考える」ということをやることがある。
とりあえず走り出してから、走る方向やルートを考えるわけだ。*2
これは、大企業に所属する企画屋の常套手段の一つで、いわゆる、テストマーケティングというやつ。
テストマーケティングは、いわゆるemerging marketでよく行われる。新しいマーケットだと、ユーザの潜在ニーズ構造がいまいちよく見えないので、どこから原油が吹き出すか、検討がつかず、あちこち試掘してみるわけだ。*3
で、テストマーケティングの場合、そんなにお金はかけられない。あくまで試掘だからね。お金をかけず、どんどん、企画し、作って、売っちゃう。どんどん使ってもらう。その使い方を見て、企画を考える。
はてなの企画の場合、プラットフォーム企画になるから、もっとつらい。どこの大企業でもいいから、プラットフォーム企画をする部署に配属されてみればわかるが、プラットフォームの企画というのは、いわば、そのプラットフォーム上で生い茂る生態系の企画だ。そのプラットフォームが、どのような生態系を生み出すかを企画してから、それをプラットフォーム企画に落としこみ、それをデザインにおとしこみ、最後にアーキテクチャ設計に落としこまなきゃならない。そこでは、その生態系におけるステークホルダー(登場人物設定)の洗い出しから始まって、それらの動機、欲求、利害関係、相互作用を洗い出し、その利害調整をどうするか、どのような政治的な枠組みを組み込むか、つまり、統治なんだけど。もちろん、Web2.0っぽいことをウリにするなら、専制君主的な統治なんかで、民衆に支持されるわけもなく、にもかかわらず、統治自体は、しないと、ウマクイカナイから、統治されていることを意識させないような、参加者が自分の自由と主体性を確信できるような統治をしなきゃならない。ますます難しい企画になる。
これって、複雑すぎて、あらかじめ全部企画するなんて、ありえないわけですよ。だから、どのプラットフォーム企画の現場でも、テストマーケティングにテストマーケティングをチェインしながら、企画している。Windowsにしろ、iモードにしろ、ez-webにしろ、いや、人間の脳の構造自体、人間の自然言語自体、そして人類の歴史自体が、場当たり的な企画の積み重ねのような構造をしている*4のは、そのためで、もちろん、いまとなっては、すべてをチャラにして、パリのように整然とした都市計画をすればいいんだけど、そのプラットフォーム上で、すでに生態系ができはじめちゃうと、互換性の問題があるから、古くて汚い場当たり的な仕様を引きずったまま、新しい企画をその上に積み重ねていかなきゃならないわけで。ez-webのトップ画面だけすげ替えて、新装開店したように見せかけても、いままでのメニュー自体は、全部残るわけで。いままでの財産を全部捨て去るなんて、ありえないわけで。むしろ、蓄積した財産を、どう組み合わせて、洗練されたFacadeを創造するかが、プラットフォーム企画屋の腕の見せ所なわけで。
もちろん、リアルな都市計画とネットのリアルエステイトの違うところは、空間自体を無限に増築できるというところで、新しい空間で、整然とした都市を建設して、いままでのMS-DOS的なUIは、もはや時代後れです。これからはマイクロソフトマッキントッシュみたいなWindowとアイコンのUIにします。*5とか言ってもいいわけで。もちろん、DOSのソフトウェア資産はほとんど継承したまま。
なので、問題は、初期の手さぐり段階において、企画が定まらず、UIが迷路のようになったり、とっつきにくかったりすることではないわけで。それは、テストマーケティングという計画的な迷走なわけで。
ただ、そろそろ、テストマーケティングの結果を分析して、一般ユーザにもとっつきやすいFacadeのバージョン1を作って、どんどん奥へ導く導線設計を考えたUIにも、平行してもっとエネルギーを注ぎ込んでみてはどうかとも思う。テストマーケティングだけに選択と集中をする時期は終わって、もっと力配分を。。。。

。。。ああ、いかん。今日中に仕上げなきゃならない仕事があるんだった。
というわけで、またまた途中で打ち切り。

参照記事:はてなのとっつきにくさ

*1:つまり、企画というのは、Howではなく、Whatを考える作業。与えられた問題を解く作業じゃなく、解くべき問題を設定する作業。その傾向が、技術系の作業よりもずっと強い(もちろん、技術系でもWhat設定はたくさん必要とされる。ここでは、企画作業と比較して、という比較の話をしている)。だから、大学受験で鍛えられた、「与えられた問題を解く」というスキルが通用しない。「一流大学の入試に出るような難解な問題を解く能力」と、「決められた仕様から最適な実装アーキテクチャを設計する能力」は、実感値としては、かなり相関が高い感じで、実際、バリバリの実力主義ベンチャーなんかでも、人事データを覗いてみると、「技術系」で職位の高い人間は、ほとんどが高学歴なのに驚く。(どうみても、学歴差別やってる余裕なんかないのに。もちろん、例外もちらほらいるが。)それにたいして、企画という職種では、もっと相関がゆるい。相関は依然として大きいけどね。

*2:ぼくが、この記事を書きながら、「ぼくがこの記事で、なにを書きたいのか」、「どんな偏見を持った仮想人格を、書き手のキャラとして設定すると面白いか」、「どんな人の神経を逆撫でして見当違いな誹謗中傷をさせるように書くと面白いのか」、「どんな人に安易な同調をさせるように書いてあとからひっくり返すと面白いのか」、そのために「どんなトリックをしかけると面白いのか」を、書き進むにつれ、しだいに見いだしていっているように。

*3:もちろん、プログラミングとかソフト開発の設計も似たようなところがあって、とりあえずプログラムを少し書いてみてから、どのような設計にするのか考えた方が効率よく優れた設計にできることがある。プログラミングの場合、emerging platformの場合というか、未経験のプラットフォーム、ライブラリ、アプリ等を設計する場合だ。ソフトウェア設計って、実装構造の「企画」作業だからね。

*4:ときどき、脳の構造というか欲望システムの構造を、白紙から設計し直したら、もっといけてる人類文明が創り出せるのかなとか思う。そういう意味で、遺伝子を書き換えてゲイのショウジョウバエを創り出したりする実験は面白いと思う。ちなみに、ブッシュの大好きなIntelligent Designがほんとうにそうだったとしても、人間の脳の構造を見れば、神様ってのは、人間の企画屋とたいして変わらん企画力しかないことが証明されちゃってるわけで。こんなことをアメリカで書いたら、ブログ炎上の覚悟が必要かもwww。

*5:ちなみに、マイクロソフトは最初、アップルにMacOSを買に来たんだけど、アップルは、それを断ったらしいです。IT史上、最悪の意思決定とか言われています。そのとき、素直に売っていれば、Windowsはそもそも存在すらしていなかった可能性がある。ただ、最近アップルは、ようやくその愚かさ加減がわかったようで、iPOD/iTunesでは、初期からWindowsにも対応してましたね。