世の中は強欲な人間以外は幸せにはなれないようにできている


精神的な負け組であることが、負け組であることの唯一の定義だという記事なんかに騙されちゃいけない。

金のかかりそうなことには、ほとんど興味のないひとが、年収が低くても、ぜんぜん負け組ではない。
金が無くても、100円ショップと100円コンビニと図書館とネットの無料コンテンツで毎日楽しく暮らせる人は、少しも負け組ではない。

こういう人は、いまは負け組でないかもしれないが、奈落の底へ加速度的に転落中なのだ。
こんな記事なんかにうなずいているようじゃ、あなたの将来はお先真っ暗だ。


現実には、ムリに背伸びをせず、年収300万円で満足して、快適に暮らそうとすると、結局、どんどん追い詰められていき、過酷なハードワークをしないと生きていけない状況に追い込まれるんですよ。


なぜかというと、世の中には、有利な立場と、不利な立場が厳然として存在するからです。


だから、がむしゃらに働いて、死力を尽くして有利な立場をゲットしなけりゃならない
そうしなければ、あなたの未来は絶望で塗りつぶされていくだけだ。


有利な立場というのは、たとえば、利回りのよいスキルや資産やブランドや人脈を手に入れるということだ。
利回りのよいスキルとは、そのスキルを持っていれば、少ない労働で多くの報酬を手に入れられるようなスキルだ。すなわち、市場価値の高いスキルだ。


また、ある程度のお金を貯めれば、それを資産運用するだけで、暮らしていける。


だから、やるべきなのは、将来にわたって市場価値の高いスキルが蓄積していくような立場を手に入れることだ。
そして、資産を蓄積することだ。
言われた仕事だけやって、そこそこの給料をもらい、定時に帰って、趣味にお金を使ってしまうなんて、みずからの将来を切り売りして遊んでいるようなものだ。


世の中とは、より上位の意思決定をする能力の方がはるかに市場価値が高い。上司が企画、設計したシステムを、上司の指示に従って黙々と実装する能力より、そもそもどのようなシステムを作るべきかのコンセプトを考え、その成功に責任を持つような立場の方が、はるかにたくさんのお金が支払われるものなのだ。なぜなら、そういう能力を持つ人間は、少なく、そういう人間の有能さによって、プロジェクトの収支が、大きく違ってくるからだ。
そして、そういう、より上位の企画、設計、判断、指示だしの能力は、より上位のポジションにつかなければ、得られないのだ
もちろん、これは、必ずしも、管理職になれということではない。データベーススペシャリストにしろ、リードプログラマーにしろ、高度な専門性を武器にするスペシャリストとして、上位の意思決定に加わるというのでも、話は同じだ。すなわち、スペシャリストであるか、マネージャであるかのどちらかである必要がある。


いずれにしても、指示を出されて作業するだけの下っ端の能力は、いつも供給過剰だ。だから、市場価値が低い。そして、供給過剰なスキルは、どこまでもどこまでも値段が下がっていく。どこまでもどこまでも待遇は悪くなり、労働は地獄のように過酷になっていく。
それが自由市場というものだ。それが市場原理というものだ。

自分の好きなことをやって生きていければいいとか、寝言言っている若者は、20年もしないうちに悪夢を見ることになるだろう。



自由市場においては、誰か他の人を幸せにするような仕事をした者に報酬が支払われるのであって、自分を幸せにするために仕事をした者に報酬が支払われるわけではない。
あなたの労働に対する報酬を支払うのは、あくまで、その労働によってメリットを受ける他者なのだ。自分のやりたいことをやって、自分をいくら幸せにしたところで、自分以外の誰も幸せにできていなければ、いったい、誰がその労働の対価を支払うというのか?


人の欲しがるものを提供できなければ、人を幸せにするような労働を提供できなけれは、あなたの労働には誰もお金を支払わない。


たとえ人の欲しがるものであっても、それがすでに世の中にあふれているものだったら、それを提供しても、誰も幸せにならない。多くの人が欲しがるものでありながら、それを提供する人間が少ないような価値ある労働を提供できなければ、お金は支払われない。将来にわたって、そういう労働を提供し続けられるようなスキルを身につけないと、あなたの将来の収入は絶たれる。


将来的に市場価値が高くなるスキルや資産を蓄積していくことに必死にならず、のんびりとはてな遊びなどをやっている者たちは、自分がいま、奈落の底へ転落中だということに、どこまで自覚的なのだろうか。