世界に一つだけじゃない花

SMAPの「世界に一つだけの花」より引用

花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけどどれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて争うこともしないで
バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている

そんなことはない。
美しいお花畑では、植物たちは、血みどろの闘争を繰り広げている。


植物たちは、根から、さまざまな種類の化学物質をまき散らして、他の植物や微生物を攻撃し、殺戮し、痛めつけ合っている。
フセインや麻原彰晃が生まれる何億年もまえから、彼らは化学兵器による大量虐殺を繰り返し続けてきたのだ。


また、植物は、他の植物の上に覆い被さり、太陽の光を遮断する。強引に根を広げ、水分を奪う。養分を奪う。相手の補給線をたち、兵糧攻めにするわけだ。
干された側の植物は、栄養不足から、細胞が次々に死滅し、腐敗していく。
殺されて腐敗した植物は、殺した植物の養分として食われる。


そもそも、花が生殖器であることを考えると、花が清楚で美しいというのは、ある種のジョークだ。
つまるところ、花は、チンコやマンコなのだ。
さまざまな色の花が咲き乱れるお花畑というのは、発情して勃起したペニスが無数にそそり立ち、濡れ光って匂い立つマンコが無数にぬめっている場所なのだ。


春に首都圏をすっぽり覆う杉花粉は、いわば、杉の精液だ。春の東京では、人々は精液の中にどっぷり浸って暮らしているようなものだ。


このように、一見美しいお花畑は、暴力とセックスの闘争が、うんざりするほど詰まっている。


そして、その闘争を勝ち抜くための、もっとも効果的な戦略は、命を使い捨てにすることだ。
命というのは、いくらでも簡単に再生産可能だからこそ、強いのだ。
とにかく、いくらでも命を量産して、物量で敵を圧倒する。仲間が何万人死のうが、その屍すらも平然と食らい、さらなる命を量産する。
シューティングゲームにおいて、残弾数を気にせずに、いくらでも撃ちまくれる銃を持ったプレーヤーが圧倒的に強いのと同じ理屈だ。一つ一つの弾(=いのち)を惜しんでいたら、この闘争に満ちた世界では、あっというまに絶滅するだけだ。


だから、僕らは、SMAPの詩にあるような、世界に一つだけの花なんかじゃない。


世界に一つだけの花」より引用:

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


一つだけでもなんでもなく、一つ一つの命の値段が安いからこそ、命はこれほどの繁栄を謳歌しているのだから。


世界に一つだけの花」より引用:

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one


一つ一つの命を、特別でもなんでもないものとして、使い捨てにする戦略をとった花たちだけが、今、お花畑にあふれ、花屋さんにあふれている。
それ以外の花たちは、とっくの昔に滅んでしまい、今や、影も形もない。


ぼくたちは、特別でもオンリーワンでもないからこそ、いまここにこうして存在できるのだ。