無能でも嫌われ者でもないないのに会社から排除されてしまう人の特徴


経営層は、会社に都合の悪い人間を排除することにとても熱心です。
だから、人事や業務フローの会議のとき、「こういう人を排除する仕組みにしましょう」という前提で話をすることがよくあります。


当然、無能な人と嫌われ者は排除されがちですが、そのどちらでもないのに排除されてしまう人がいます。


たとえば、「よくいるんだ、こういう経理のおばちゃん。そういう人をのさばらせないために、こういうシステムにするんだ。」という管理部長の人がいました。


彼の言うには、経理処理システムを、経理のおばちゃん*1にまかせておくと、やたらと仕組みを複雑にして、その人以外が手を出せないようにしてしまう。
だから、会社側は、彼女を別の人にすげ替えるわけにもいかず、そのおばちゃんの地位は安泰になるわけです。


ビジネス戦略的には、一見、このおばちゃんの戦略は賢いように見えます。
参入障壁を築くことで、おいしいビジネスポジションを独占する戦略だからです。


しかし、現実には、参入障壁を築き、独占戦略を行うタイプの人は、会社側から排除されます。
まず、採用の時点で「独占」タイプの人は採用しないようにしますし、採用した後も「独占」によって既得権益を守ろうとする人は、あれやこれや人事的な細工をして、会社は既得権益を引きはがします。
そして、「独占」タイプではなく「実直」タイプや「価値創造」タイプの人材にすげ替えようとします。
さらに、業務フローをシンプルでオープンで透明にし、「独占」タイプに牛耳られないようにします。


ここでいう実直タイプとは、与えられた仕事を、抜かりなくこなすタイプですね。
価値創造タイプとは、単に与えられた仕事をこなすだけでなく、(1)人が欲しがるモノで、(2)しかもまだあまり供給されていないものを、(3)低コストで提供するタイプの人ですね。
たとえば、価値創造タイプの経理の人というのは、普通に手堅く集計するのに加え、(1)経営層が欲しがる集計方法で、(2)しかもまだ行われてない集計方式を、(3)少ない手間と時間で提供します。


よく、別の会社へ行った昔の上司や同僚から声がかかって、ステップアップ転職をする人がいますが、そういう人も、たいては「価値創造」タイプです。価値創造よりも独占に力をいれるタイプの人は、そもそも、プロジェクトに価値を貢献してくれる量が少ないので一緒に仕事をしたいとは思わないということです。


これは、取引先の会社も同じで、「独占」戦略によって既得権益を築こうとするパートナー企業は「価値創造」戦略をとる企業にすげ替えようという動きが、よく出てきます。


一方で、まったく参入障壁を築かないと、首を切られやすくなるのも現実です。
そこで、バランスの問題になるのですが、基本的に、価値創造よりも独占に力を入れる人は排除されますが、独占よりも価値創造に力を入れる人は排除されません。
ようは、十分に価値創造していれば、「彼女は、あれだけ価値創造しているんだから、少しぐらい既得権益をあげてもいいじゃないか」という感情が起こると言うことです。


なので、「高給取りの条件は、生産性の高さではなくて、独占の度合いである。」などというのを信じてしまい、(1)〜(3)のような生産性向上努力をおざなりにしたまま、独占によって高給取りになろうとする戦略をとると、現実には、まあ、たいていは、しょぼい独占しかできず、しょぼい人生になります。


もちろん、独占によって高給取りになっている事例もたくさんありますが、一方で、面白い仕事とオイシイ年収に恵まれている人たちの大多数が、生産性向上よりも独占に力を入れる人たちだ、なんてことは、すこしも世の中の現実ではないのです。


あと、この記事の「生産性を向上させることで、幸せになる人はいても、困る人は誰もいません。」という部分に対して、否定的な意見が来ています。

もし、100人の村で、生産性が劇的に向上し、1人で村全体の材やサービスを生産できてしまうと、99人が失業し、その99人は奴隷になり、革命が起きる、というようなロジックです。


しかし、この記事にあるように、現実には、生産性が向上しすぎたら、労働時間を短くし、みんなで自由時間を楽しめばいいだけの話です。
一部の人だけががむしゃらに長時間働いて大量の給料をもらい、あとの人が失業し、生活に困るような状態になったら、そのときは、その人から税金を徴収して、福祉に回せばいいだけですね。他にもやり方はあるでしょう。


ようするに、「生産性向上の結果生まれた状況にどう対処するか」というのは「生産性向上それ自体」とは、別の議論なのですが、id:kagami氏は、そこを混同してしまっているのですね。


あと、もう一つありがちな誤解:
http://d.hatena.ne.jp/yuyu99/20070206/p2

みんなが、このようにして生産性を向上させることで、幸せになる人はいても、困る人は誰もいません。
なぜなら、その結果、生産性の低い職種から人がいなくなれば、需給バランスの関係で、その職種の生産性は、自動的に高くなるからです。
つまり、結果として、ぼくの大好きな駅の掃除のオジサンの給料が上がるのです。

いや上がらない。

日本全体の生産性が高まったとしても、日本が、外国人労働者を受け入れるならば、掃除のおじさんの給料は上がったりはしない。日本が、労働者を受け入れず、掃除のおじさんが、職を確保できてこそ、おじさんの給料は上がる。つまり、掃除のおじさんの給料が上がるためには、日本が、労働者を受け入れないという条件が必要になる。つまり、参入障壁を作り上げることが必要になる。

では、世界全体の生産性が上昇したとして、おじさんの給料は上がるだろうか?形式的には、全然上昇することはない。もたらされる結果は、おじさんは、依然と同じ給料でよりよいものを手にすることができるようになるだけである。機能の上昇したパソコンを、1年前と同じ値段で購入できるとかそういうこと。

生産性が上昇すれば、人々の暮らしは楽になって行くというのも、幻想である。もっとも楽な生活をしている民族は、狩猟採集社会の人たちであり、生産性のもっとも低い種類の人々である。木の実をとって、野獣を狩って、残った時間はのんびり暮らそうという文化のある民族である。


まず、元記事にあるように、「多くの消費者があまり高い価値を認めない仕事で、労働力が不足していない仕事に、労働力を提供しようとする人」というのは、生産性が低いという定義です。
つまり、(1)人が欲しがるモノで、(2)しかもまだあまり供給されていないものを、(3)低コストで提供という3つの原則のうち、(2)を満たしていないのは、生産性が低いわけです。
だから、外国人労働者も含めて、社会全体が、(1)〜(3)のような生産性向上努力をやれば、人々は労働力が供給過剰な職種を避けますので、お掃除の仕事の労働力の供給過剰状態が緩和され、必然的にお掃除のオジサンの給料は上がります。そもそも、社会全体が、そのお掃除のオジサン自体に(1)〜(3)を要求するという前提になりますから、そのオジサンは、さまざまな業務改善提案を、経営層に提案することになりますね。もちろん、アメリカの清掃会社などで、積極的にに掃除の人たちの創意工夫を引き出す経営をしているところは一部にあるものの、いまの現状では、そのような会社は少ないし、社会全体がそういう価値観になっていないので、いますぐオジサンが仕事の質を上げたり、業務改善をしても、そのオジサンの待遇がよくなるようなことは、まずないでしょうけど。


あと、世界全体の生産性の大切さは、生産性の低い国や時代の様子を記述している文献を読めば、まあ、一目瞭然ですね。
たとえば、1970年には、発展途上国の全人口の35%が飢えていました。1996年にはこれが18%で、国連の予測では、この数字は2010年までに12%にまで下がる見込みだとのこと。
これは、明らかに、人類全体の生産性が向上したからなしえたことであって、生産性向上抜きに、分配方法を変えるだけでこれをやるのは、非現実的です。
そして、飢えは、明らかに貧しいし、不幸ですよ。
飢えで苦しんでいるアフリカの子供たちのほうが、われわれ日本人よりも豊かかもしれない、というのは、詭弁というか、地に足のついていない議論ですね。


そして、貧困から来る明かな不幸を解消する、最も効果的な戦略は、価値創造をやることであって、価値分配をやることではないのは、歴史が証明しています。
経験的には、優先順位は、常に価値創造が先であるべきで、それで問題が起きた部分を価値分配で対処するという順序でやらないと上手くいかないものなんです。まだ価値の創造が十分でないうちから、価値の分配に力を入れて上手くいくことは希なのです。


また、同じ値段で機能の上昇したパソコンが買えるのは、結局は生活が豊かになったということです。
同じ値段で、より広い画面のモニタで仕事ができるのは、目が疲れず、仕事がしやすくて、気分がいいです。
同じ値段で、よりオイシイ野菜が、よりたくさん食べられるのは、生活が快適です。
あるいは、昔と同じ生活でいいのなら、より少ない時間しか働かなくても暮らしていけるのは快適です。
実際、あまり頑張らずに、労働時間を短くしている人たちもいます。


生産性の向上を、欲望の奴隷になるかのようにとらえる人がいますが、創意工夫で生産性を向上させることと、その結果生じた余裕をどう使うか、というのは別の話です。
物欲大暴走で大画面テレビを買うのも自由なら、逆に仕事量を減らしてのんびりするのも自由です。*2


もちろん、幸せなどというものは、主観的なものですから、生産性や豊かさの定義など、いくらでも変えることができます。
精神的な豊かさが重要だとか、人々の欲望の暴走が、という、あの、何十年も前から言われ続けてきた議論が、それです。
しかし、生産性向上を無視して(1)人々が欲しいと思わないモノで、(2)既に供給過剰なものを、(3)高いコストで供給するような人たちで構成されるような「精神的に豊かな社会」に住んで、どれほど豊かな気持ちになれるんでしょうか。

結局のところ、みんなが(1)人が欲しがるモノで、(2)しかもまだあまり供給されていないものを、(3)低コストで提供し合うことで、お互い支え合って暮らす社会の方が、豊かな気持ちで暮らせるのではないでしょうか?



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*1:もちろん、女性とは限らないと思いますが

*2:あと、誤解が多いので補足しておきますが、たとえば次の記事で、「週休4日制云々」とか「長く働いたら負けの文化を作るべきだ」のくだりがありますよね。http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061231/1167563326 また、以下の記事では、全世界的な労働者連合の圧力団体が生み出されて労働条件が良くなるという部分があります。http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061229/1167383226 http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070210/1171115221これらは、要するに、何を言っているかというと、「生産性の向上は、自由時間を生み出すための必要条件」であって「生産性の向上は、自由時間を生み出すための十分条件」ではないので、生産性が向上したら、その生産性向上の成果を自由時間創出に転換するための、社会制度的、文化的、世界組織的な工夫が必要である、ということなんですよ。つまり、生産性が向上すれば、それだけで、自動的に自由時間が生み出されるわけじゃないので、社会制度と文化システムと世界構造にこんな感じの工夫が必要になってくるんだよ、ってことです。