結論から言うと、今回の生産性論争は、
ある産業(製造業)の生産性向上が、他の産業セクタ(ウェイトレス)の賃金にどれだけ影響するのか?
の影響の程度(湯加減)についての議論でした。
池田氏は、このお湯はすごくぬるいんだ(影響は小さい)。いまは熱いかも知れないけど、どんどん冷めていくんだ。と主張。
d:id:sirouto2氏も同様のことを主張。
でも、山形氏や劇場の図解を支持する人もいて、「お湯は結構熱いかも」と思う人も結構出た。
「実際、日本のウェイトレスの賃金って高い」という現実があり、湯が熱く(影響が大きく)ないと、それの説明がつかないからでしょう。
これに至る流れを見るために、今回の生産性論争のロジックを、簡潔に整理してみます。
まず最初に山形氏が、
賃金(=限界生産性)は社会全体の平均的な生産性によってかなりの部分決まってしまう。
それに職種の労働力需給と個人の作業能率という要因が加わって賃金が決まる。
と主張。
これに対して、池田氏は
社会全体の平均的な生産性が限界生産性を決めるメカニズムはない
山形氏はTFPのことを平均的な生産性と言っているのだろうが、TFPは産業のセクタごとに分かれているため、平均的な生産性はセクタごとに分離してしまう。だから、社会全体の平均生産性など考えても無意味だ。
と反論。これは、スジが通っている。
ただし、簡単な実証データぐらいすぐにひっぱってこれそうなものなのに、それがないのが気になるところ。
で、劇場は
国際競争の不完全性が労働流動性を通じて限界生産性に影響を及ぼすメカニズムを図解。
このメカニズムが「社会の平均的な生産性」だ。
という記事を掲載。
これは、労働流動性によって調整がなされるという想定のモデルだが、それが実際にどの程度労働の需給を調整する力があるのか、そこは実証データの裏付けがあるわけではない。
追記:山形氏がロバート・J・ゴードン教授にメールで問い合わせたところ、劇場の図解とほぼ同じロジックの説明が返ってきた模様。ロバート・J・ゴードン教授ぐらい立場のある人が、実証データによる裏付けもなしにそんなことを言うと信用無くすだろうから、そんなことを軽々しく言うとも考えにくい、というのはある。
そして、d:id:REV氏は、その劇場の図解に、「湯加減問題」とブクマコメント。
要するに、ある産業の生産性向上の他の産業セクタの賃金への影響は程度問題であり、
池田氏のように、それがほとんどないかのような主張も、
劇場の図解のように、その影響が大きいかのような主張も、
どちらも極論に過ぎない、と言いたかったのだろう。
そして、d:id:sirouto2氏は、池田氏の主張を図解。
社会の各産業はそれほど密に関連しているわけではない。
だから、社会全体の平均的な生産性が限界生産性に影響を及ぼさないことも多い。
という、池田氏のと同じ主張を繰り返す。
それに対して、with Mac氏は
http://blog.livedoor.jp/tetu3377/archives/50885640.html
バブル期は、日本の製造業の生産性が非常に高く、かつ、貿易の障壁が高くて国際競争が不完全だった。
そのため、警備員などの製造業と関係ないセクタの人の賃金も上昇した。
バブルがはじけた後は、その逆の現象が起きている。
として、国際競争の不完全性によって、ある産業の生産性向上は、セクタの違う人の賃金にも影響を与える可能性があることを示唆。
ただし、もちろん、これは例の一つに過ぎない。
一方、坂本多聞氏は、
http://rblog-ent.japan.cnet.com/tamon/2007/02/post_91a9.html
山形氏の主張や劇場の図解を「光の速度は無限だと思う」とか「永久にエネルギーを生み出せる新理論を発見した」
と同様のものだ。
として、経済学の基本を解説。
ただし、記事内容は、単なる経済学概念の解説に終始し、なぜ、山形氏の主張と劇場の図解が「光の速度は無限」と同じぐらい間違っているのかの具体的な説明はなし。
この生産性論争の結論は、はじめから決まっていて、議論自体に見るべきものは何もなかった。
答えは、d:id:REV氏の「湯加減問題」に全て集約される。
で、湯加減が具体的にどうなのよ、ということの実証データらしきものに言及したのは、with Mac氏だけ。
あとの人は、「俺の実感では、湯は熱い・ぬるい」と声高にさけぶだけだった。
一部に、これは経済学の理解度の問題であるかのような発言がありますが、経済学概念をいくら導入したところで、他の産業セクタへの影響の大きさは算出できないですよ。
データの入力がなければ、アルゴリズムの種類(正当派経済学or俺様経済学)に関係なく、答えは出ません。
もし、この論争をちゃんとやるのなら、ある産業の生産性向上が他の産業セクタに波及する・しなかったということの傍証となる実証データをどんどん引っ張ってきて、ぶつけ合うことでしょうね。