Web2.0をはるかに超える空前のイノベーション

この本を読む前は、「梅田氏はなぜ(ブログではなく)本を出版するのだろう」と思っていたが、結局のところ、「今の時代になってもブログから情報を得ることをしない(できない)ような経営者、エスタブリッシュ層が日本にはたくさんいるので、その手の人たちに彼のメッセージを伝えるには古典的な書籍という手段に頼らざるをえない」という悲しい現実を良く知っている彼だからこそのアプローチなのであろう。

たとえば、今の世の中に、本というものがなく、すべての文字情報は、パソコンもしくはケータイからしか取得できなかったと考えてみる。そして、そこに、本という根本的に新しいメディアが登場したとする。
この新メディアは次のような特徴を持つ。


(1)本の中でも、とくに携帯性に優れた文庫や新書は、究極のモバイルメディアである。いつでもどこでも、読むことができる。しかも、PCどころか、G-SHOCKすらもはるかに凌駕する超絶的な耐衝撃性を持つメディアである。このため、なんの気兼ねもなく、無造作に鞄のなかに放り込んでおくことができ、いつでも身につけておくことができる。このことは、この本というメディアの、生活時空間カバー率が、PCなどまったく問題とならないほど巨大であるということを意味する。PCというメディアは、PCの前に座っている生活時空間しかカバーしていない。ところが、本は、机の上やソファーの上だけでなく、電車の中、トイレの中、布団の中など、生活時空間のほぼすべてをカバーすることができる。すなわち、本というメディアは、PCをはるかに凌駕する生活時空間カバー率を持つメディアなのである


(2)本は、PCで読むブログをはるかに超える一覧性を持つ。すなわち、本というメディアは、PCよりも解像度が高い。さらに、PCのLCDをはるかに超える視認性を持っている。つまり、同じコントラストの高さであっても、LCDと異なり、黒いところが黒くてコントラストが高いため、長時間みていても疲れない。また、マウスやキーボードを使ったPCの画面のスクロールよりもはるかに優れて直感的なユーザインタフェースを提供している。すなわち、指でぱらぱらとページをめくることにより、自由自在にさまざまページに、直感的にアクセスできるというユーザインタフェースである。

そもそも、インターネットは情報洪水である。どんなに読んでも読みきれない情報であふれている。そして、人々がPCの前に座っている時間は限られている。その限られた時間に読むべき情報で、人々は、いつもいっぱいいっぱいなのだ。PCの前に座っている限られた時間というのは、いわば、銀座の一等地なのだ。読んでもらいたい情報という需要がとてつもなく大きいのに比べ、読むために提供してあげられる時間というのは、とてつもなく少ない。需要と供給でものの価値が決定されるとしたら、パソコンで長い文章を読む時間確保してもらうには、その文章にとてつもない価値がないといけないことになってしまう。
しかし、本とう新メディアは、いわば、郊外に立てられた巨大なショッピングモールのようなもので、PCの前に座っている時間という一等地ではなく、まったく別の生活時間を開拓することのできるすばらしいメディアなのである。すなわち、トイレの中や電車の中や布団の中という時間を、文章を読む時間として確保することができるのだ。
さらにもっと重要なことは、PCで読むブログをはるかに超える長い文章でも読んでもらえるので、長い文章でしか表現できないような深い洞察を、多くの人に伝えることができるということだ。いわば、ブログの長さ制限というのは、人々の深い洞察を伝えることを妨げる、いわば精神の牢獄であった。長い文章でしか伝えることのできないような深い洞察を伝えることを可能にする本というメディアは、人々をこの精神の牢獄から解き放つメディアなのである。まさに、文明そのものの潮流にすら影響を与えかねない、とてつもないメディアなのである。
こうしてみると、本という新しいメディアが、Web2.0などまったく問題にならないほどのとてつもないイノベーションであることが、よくわかるのではないだろうか。
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という感じ。で、ぼくがこういう話を聞くたび、思い出すのが、テレビが登場したときの人々の反応。
テレビが登場したら、新聞がなくなると思った人が、たくさんいたらしいです。なぜなら、テレビの方が、ニュースに速報性があるし(news paperよりよっぽどnewなnewsを伝えられるメディアなわけだ)、なにしろ音声と動画がついていて、臨場感があふれた放送ができ、その場の空気までリアルに伝えられる。新聞などとてもかなうはずがない、と思ったらしい。で、もちろん、テレビの登場で、新聞の売り上げは落ちたんだけど、だからといって、新聞の売り上げがゼロになったわけでもないし、新聞の存在価値がなくなったわけでもない。テレビと新聞が共存し、絡み合い、世の中のメディアは、より複雑で豊穣になったわけです。
Webだって、結局似たような話で、それがブログがあるから、本のレゾンデートルが消滅するわけじゃない。それは、単純に置き換えるようなものじゃない。むしろ、共存するだけでなく、お互いに複雑に絡み合い、より豊かなメディア構造になっていくのだと思う。