はてなの近藤社長はシリコンバレーでどんな問題に直面したのか?


近藤さんは、シリコンバレーで世界に通用するサービスを作ろうとした。
英語圏向けのサービスを。


サービスは一人では開発できない。
一緒に開発してくれる優秀なエンジニアが必要だ。


近藤さんに言われたとおり実装するだけの、イエスマンエンジニアではだめだ。
仕様の細部まで親身になって話し合いながら一緒に開発していく、企画センスも兼ね備えた頭の切れるギークが欲しいところだろう。


英語圏向けのサービスを開発するのだから、当然、英語圏の空気の読めるエンジニアが望ましい。
そこで近藤さんは、現地でそういう人材を採用しようとしたのではないか。


しかし、シリコンバレーでそういう優秀なエンジニアを採用するには、いくつもの問題をクリアしなければならない。


まず、具体的なWebサービスの企画が必要だ。


いくらシリコンバレーのギークたちが、梅田望夫さんのいうようにお互い褒めあい、陽気にオプティミズムを貫いている人たちばかりだといっても、具体的な企画もなしに、なんだか雲をつかむような話をされただけでほいほいプロジェクトに参加してくれたりはしない


優秀な人材というのは、「や ら な い か」と言われただけで「ウホッ、いい男」と顔を赤らめながら入社したりはしないのだ。


ここはとくに日本と違うところじゃないだろうか。
多様なベンチャープロジェクトが頻繁に立ち上がってはメンバーを募集するシリコンバレーの場合、優秀な人材は、その中から、最もエキサイティングで、最も成功しそうなベンチャーを選んで参加することができる。


京都や東京で、具体的な企画もなく、なぜ成功するのかを明瞭に説明するビジネス戦略もなく、「近藤さんなら、なにかすごいことをしてくれるだろう」という期待感だけで優秀な人材が雇えたのは、日本ではまともなベンチャープロジェクトがあまりにも少ないからだ。
何か面白いプロジェクトをやりたいエンジニアたちは、はてな以外にろくな選択肢が見あたらないから、そんな雲をつかむような話にものらざるをえない。


要するに、ベンチャープロジェクトと人材の需要と供給のバランスが、日本とシリコンバレーでは違うのだ。
ベンチャープロジェクトと、そこへ供給される優秀な人材の数が、シリコンバレーで1対5だとすると、日本の場合1対50ぐらいとか、そんなイメージか。いや、もっと酷いか。


当然、そんなことぐらい近藤さんは最初から分かっていただろうから、あらかじめ日本で英語圏向けWebサービスを企画しておいて、それをあっちへ持っていったか、もしくは、現地へ行ってから具体的なWebサービスの企画を練ったのだろう。


それも、単なる企画ではだめだ。「こいつはすげえ!これは世界を変えるぅ!」と思わせるような、人を魅了する企画じゃないと、 なかなか優秀な人材は採用できない。


おそらく、練りに練った、強烈に魅力的な企画をもって渡米したか、もしくは、現地でそういうものを練り上げたか、もしくはそうしようとしたのではないか。


もちろん、企画がまだそれほど具体的でなくても、優秀な人材を獲得できるケースというのはある。たとえば、スティーブジョブズのように具体的な実績のある人間なら、具体的な企画が無くても「過去にあれほどのサービスを成功させた人間だ。なんだかよく分からないが、彼なら何かやってくれるのではないか?」というある種信仰にも似た期待を抱かせて、優秀な人材を獲得することができるだろう。


近藤さんの場合、実績というのは日本でのはてなのサービスがそれにあたる。
はてなのサービス実績をシリコンバレーのエンジニアにプレゼンした場合、それは彼らの目にどのように映るだろう?


diggやdeliciousなどのすばらしいソーシャルブックマークサービスに慣れた彼らの目からは、はてなブックマークは良くてもyet another SBMにしか見えそうにないと思う。悪くすれば、diggやdeliciousの劣化コピーでしかなく、日本語圏という閉鎖空間だからようやく通用しているサービスであって、とてもじゃないがシリコンバレーに通用するようなサービスじゃない、と思われてしまったりはしないのか。


さらに、人力検索、はてなダイアリー、はてなワールド、はてなアンテナ、どれをとっても、企画の実績としては、それだけでシリコンバレーの人材を魅了できるようなものではないだろう。「遅れている日本だからそんなものでも通用したんだよ。英語圏では通用しないな。」と思われてしまうのではないだろうか。


「はてなという変な会社をやってるんだよ。ユニークでしょ。」とアピールして、ちょっとぐらいの興味は持たれるかも知れないが、シリコンバレーの頭の切れるエンジニアが、それに魅了されてプロジェクトに参加してくれるほどだろうか?


だから近藤さんの場合、実績よりも、ぶちあげた企画内容の魅力によって人材を惹きつける必要があったと思われる。


それでは、近藤さんが首尾良くすごく魅力的なWebサービスの企画書を書き上げたとしよう。そして、それをシリコンバレーの優秀なエンジニアにプレゼンし、彼が「こいつはすげえ!これは世界を変える!」と直感したとしよう。


すると次のステップとして、具体的な待遇と報酬の話になる。
シリコンバレーでは、優秀な人材であれば自分の人材価値に見合った十分な分け前を要求するだろう。
当然、高い年収と、十分なストックオプションを要求するはずだ。もしくは、生株を要求するだろう。


彼らにとって、ベンチャー会社とは社長の私物ではなく、創業メンバー全員が運命共同体として成功と失敗を共有するための器なのだ。
自分が貢献するおかげでプロジェクトが成功するのだから、その成功を近藤さんが独り占めするなど許されるわけがない、というのが彼らのごく自然な感覚だろう。


そうすると問題となってくるのが、日本のはてな社員との待遇のバランスだ。


日本のはてなという会社では、はてながどれほど大成功しようとも、ほとんどの従業員にはキャピタルゲインが入ってくるようなことはない。YouTubeがGoogleに売却されたときは、受付嬢の方も1億円以上のキャピタルゲインを手にしたというが、はてなのユーザサポートの中川里子さんがいくら頑張っても、1億円もらえるなんてことはありえない。
そもそも、はてなは株式公開や会社売却の予定はない。そういうビジネスモデルではないのだ。
だから、成功の果実は、近藤さんなどの一部の株主によって独占される。


ここが、よくあるシリコンバレー型ベンチャーと大きく違うところだ。
日本のはてなでは、「一緒に頑張って、いっしょに成功させる」という健全なスポーツマン的な「誇りと気分」という非金銭的報酬を得るためにクリエイティブな仕事をするのが正しい社員のあり方なのだろう。
「成功したら金銭的な分け前をよこせ」などという品格のないことを言う社員はそもそもはてなに入社しない。
日本のはてな社員は、お金のために働いているわけではない。


そういう日本のはてな社員から見れば、金銭的な分け前を要求するシリコンバレーのエンジニアは品格がないように見えるかもしれない。
しかし、ベンチャーが成功するとき、たくさんのストックオプション長者が生まれるということは、多くの人間が自己資本を手にするということだ。自己資本を手にした社員たちは、こんどは「自分の」ビジネスを創業したり、エンジェルとして別のベンチャープロジェクトを育てるだろう。そうして、次々に新しいビジネスが花咲いていく、という生態系がシリコンバレーなのだ。


それに比べ、たとえ日本のはてなが大成功しても、はてなの社員は自己資本を手にすることはできない。自己資本がないということは、「自分のビジネス」を立ち上げるのが難しいということだ。


たとえば、あるWebサービスを開発しようと思ったとする。
しかし、企画書だけでは外部からの資本の調達は難しい。
そこで、プロトタイプを作ってから、そのプロトタイプと企画書をセットにして投資家にプレゼンし、出資してもらうことになる。


このため、少なくとも、企画書やプロトタイプを開発する間自分が食いつなぐくらいの自己資本は必要だ。
もちろん、そのくらいの自己資本であれば、なにもストックオプションをもらう必要はなく、数百万円程度貯金すれば事足りる。


しかし問題は、企画書とプロトタイプだけで出資してもらおうとすると、「独創的なプロジェクトを立ち上げられない」ということだ。
資本家が出資するのは、資本家の常識に照らして成功しそうなプロジェクトであって、そこには投資家が理解できるビジネスモデルやビジネス戦略でなければならない。だから、彼らが理解できないような独特のセンスで時代の流れを読んだとしても、出資を得られる可能性は低い。


そこで、投資家を納得させるためだけに、不毛なプレゼン資料をたくさん書くことになる。そこにエネルギーを消耗し、実際の企画やシステム開発がおろそかになってしまうこともしばしばだ。


さらに、そうまでしてようやく出資にこぎつけたとしても、会社はほとんど自分のものではなくなってしまう。
なぜなら、企画とプロトタイプだけで具体的なアクセス実績や売り上げ実績がない状態だと、資本調達にまず倍率はつかないからだ。
そうすると創業者の株式シェアはごく小さくなり、ビジネスの自由度はずいぶん下がる。定期的に株主に活動報告しなければならないし、方針転換するときは、株主を説得し、了承を得なければならない。


これでは、ベンチャー企業のスピードと機動性を大きく損ないかねない。
独特の感性でビジネスチャンスを見抜いたとしても、株主と意見が合わずにサービスが台無しになってしまうこともある。
そこで多くの起業家は、まず自己資本でWebサービスを開発し、リリースし、ある程度のユーザを集め、アクセス実績も作ってしまう。
そのあと、外部から資本を調達すれば、ある程度の倍率がつく。
そうすると、自分は過半数の株式シェアを維持することができ、かなり自由なビジネス展開をすることができるというわけだ。


このため、たとえ資本を外部から調達するとしても、サービスを開発し、軌道に乗るまで持ちこたえるくらいの自己資本があった方が、はるかに思い通りのサービス展開ができる。


なんだかんだいって、資本主義社会で自分の思い通りの創造行為をしようとしたら、自己資本が鍵になるのだ。


実際、近藤さんが突然シリコンバレーにアメリカ法人を設立して、世界に通用するビジネスを作るんだ、などという奔放なことができるのも、かれが自分が自由にできる資本を持っているからこそなのだ。


それに比べ、今後も自己資本を手にする可能性のない大部分のはてな社員は、「自分のビジネス」をする未来など訪れない。
はてなをやめれば、ただの人である。
「かつて、はてなの社員としてすばらしいサービスを開発した」というブランドは武器になるが、それを武器に外部から資本を調達することはできるかもしれないが、前述したとおり自己資本のなさがアキレス腱になって苦しむことになる。場合によってはせっかくいいアイデアを持っていながら、未来を閉ざされてしまうこともあるだろう。
だから彼らは、今後もずっと近藤さんを信じてついて行くしかないのだ。


当然、シリコンバレーのイケてるギークが、こんな理不尽な待遇を甘んじて受け入れるわけがない。
しかし、だからといって、シリコンバレーで採用した人材にだけ多額のストックオプションを約束したら、日本のはてな社員は不公平に思うだろう。
あちらを立てればこちらがたたずの、非常に難しい状況にあるのだ。


もちろん、近藤さんにだって言い分はある。株式公開や株式売却を前提にすると、利益を出すことにこだわらなければならなくなったり、あるいは売却してしまうと、サービスをもり立ててくれるコミュニティの期待に答え続ける責任を全うすることができない。
日本のはてなは、株式公開も会社売却もしないからこそ、今後もはてな村の独特のコミュニティを維持できるという側面があるのだ。


また、シリコンバレーのエンジニアの待遇よりも日本のはてな社員の待遇が悪いのは、近藤さんが腹黒いからではなく、単純にベンチャープロジェクトと人材の需給バランスが日本とシリコンバレーで異なるためだ。よりよい待遇が欲しいのなら、さっさと渡米してシリコンバレーで職を探すべきだろう。


だが、そういう理屈をシリコンバレーのエンジニアに語ったところで、理解は得られても、日本のはてな社員と同じ待遇で入社してくれるわけではないだろう。
また、シリコンバレーでの採用の条件を日本と変えたとして、その事情を日本のはてな社員に説明すれば、理解は得られるだろうが、やはり、感情的にどこか釈然としないものが残ってしまう可能性もある。


もちろん、このことは渡米前から十分予測できたことだ。だから、近藤さんと梅田さんはこの問題についてあらかじめ十分に話し合った上で、それを乗り越える解決策作り上げてから、シリコンバレーへ乗り込んだはずだ。


そしてこの問題は、彼が帰国後拠点を京都に移したこととも密接な関係がある。
有望なプロジェクトと人材の需給バランスで言えば、

京都 >> 東京 >>>>> シリコンバレー

となるだろう。
この三つの都市の中では京都が一番、会社側にとって都合の良い待遇で、優秀な人材を獲得できるのだ。
見方を変えれば、エンジニアにとっては京都が一番、悪い条件でしか面白いベンチャープロジェクトには参加できない。



そして、近藤さんが直面した問題はこれらだけではないだろう。まだまだたくさんある。


たとえば、英語力。
それも、優秀な人材を魅了できるほどの強力なプレゼンを英語で行えるほどの英語力。
鋭い質問に対し、質問者をうならせるほどの鋭い切り返しができる英語力。
センスのいい言葉の選び方、的確なメタファーで、なるほど、と思わせなければならない。
ビジネス英語ができるとか、そういうレベルじゃお話にならない。
そういう血の通った英語力は、毎朝はてなの朝ミーティングを英語でやるくらいで身につくものだろうか?
この点でも、近藤さんはあっちで苦労した可能性がある。


このように、近藤さんがシリコンバレーで成功するのは、並大抵のことではないし、それを十分に分かった上で、彼はそれほどの困難に立ち向かったのだと思う。なぜなら、彼にはシリコンバレーを熟知した梅田さんというブレインがついていたからだ。
シリコンバレーのことを何も知らないユーラシアの隅っこの田舎者が無防備に出かけて、大やけどをして帰ってきたわけではないのだ。


こうして考えると、「1年半もシリコンバレーで過ごして何の成果もないまま帰ってきた」という非難は、少し手厳しすぎるようにも思う。


非難するだけなら簡単。
あなたなら、彼と同じ状況におかれて成果を出せたとでも言うのだろうか?
「オレだったら、そんな無謀な挑戦はしないから、そんな失敗もしなかった。」とでも言うつもりだろうか?


それは結果論というものだ。
一見、どんなに無謀に見えても、あらかじめ問題を一つ一つ洗い出し、十分に対策を練った上で立ち向かうと、予想外になんとかなってしまうこともあるのだ。彼は、それに賭けたのではないだろうか?
その行為はほめられることはあっても、非難されるようなものなのだろうか?
なにより、実際に挑戦してみないと分からないということは山ほどある。


また、彼は同時にもう一つのギャンブルをせざるを得なかった。
それは、日本のはてなが彼なしで回るというギャンブルだ。
リーダーが抜けて現場に権限委譲したとき、リーダーの抜けた穴を補うように次のリーダーが頭角を現すことがある。
つまり、近藤さんはアメリカに行くことで、次のリーダーが育つチャンスを作ったとも言える。
しかし、こういう形で次のリーダーを育てることは、ある意味賭だ。
うまくいけば社員の成長につながるが、裏目に出ると、リーダーの磁場に惹きつけられてモチベーションを維持していた社員が、磁場の束縛を解かれ、会社から離れていってしまうリスクもある。
今回は、たまたまうまく行かなかっただけで、社員に成長のチャンスを与えたという行為自体が間違っているという非難は的外れだろう。


また、権限委譲が不十分なままリーダーが遠方に行ってしまったために弊害が出たという非難もあるが、そんな初歩的なミスを近藤さんが犯すだろうか?ぼくは、もっと事情は複雑だったのだろうと想像している。


イエスキリストとかいうオッチャンは「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とか言ったらしい。*1
近藤さんと同じくらいの困難に立ち向かい、挑戦した者が彼を非難するなら、まだしも納得感がある。


少なくとも僕は、「自分はたいした挑戦をせず、たいした困難には立ち向かわず、口先ばかり達者な人間の言葉」などより、
「実際に挑戦し、困難に立ち向かった近藤さんの勇気と行動力」を誉め称えたいと思う。