「好きを仕事に」という欺瞞に騙されず、心の底から気持ちよく好きなことをやる方法

「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」
って言う人は、たいてい、「好き」と「稼げる」の積集合が大きい。

(これを「一致タイプ」と呼ぶことにする)


一致タイプの人には、
「なんで、みんな、やりたくもない仕事をやってるの?
好きなことを仕事にすればいいじゃないか!」
って、思ってる人が多い。
太古の昔から、一致タイプの成功者は、佃煮にするほど生息数が多い。
それほどまでに、一致タイプは、成功しやすい。



けれど、「好き」と「稼げる」の積集合が、空集合になってる人もたくさんいる。

(これを不一致タイプと呼ぶことにする)


不一致タイプの人たちにとっては、
「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」
という一致タイプの人たちが唱える言説は、人生を蝕む呪いとなる。



経営者や上司が一致タイプで、部下が不一致タイプだと、悲惨だ。
経営者や上司は、仕事が好きなのは当然だと思っているし、部下は「仕事が嫌いだ」と言うと人事評価に響くから、仕事が好きなふりをし続けなきゃならならず、いやーな職場になる。


もっと酷いのは、一致タイプの言説を、不一致タイプの人が鵜呑みにして、散々好きを仕事にしようとした挙句、結局できなくて、世界がどす黒い絶望に染まっていくパターンだ。
最初から自分は不一致タイプなのだと認識していれば、後述するように、はるかに豊かな人生を送る方法もあったのに。


もちろん、昔は、この逆のタイプの『呪い』が日本社会を跋扈していた。
それは、一致タイプの若者たちの未来を摘み取ろうとする、不一致タイプの大人たちだ。
一致タイプの子どもが漫画家になりたいとか、ゲームクリエイターになりたいとか言い出すが、不一致タイプの親や教師が、「世の中はそんなに甘くない」と言って、楽しく生きられたかもしれない子どもの未来を破壊してしまう。
これは、少年漫画の典型的な物語類型を形作る、わかりやすい『呪い』で、
むしろ、昭和的とすら言える。


この2種類の呪いは、実は、同じところから出ている。
どちらのタイプであっても、多くの大人は、自分の生き方を肯定するために、無神経に若者たちに呪いをかけ、人生を破壊しようとする。


不一致タイプの大人は、好きを仕事にできなかった自分の人生を肯定するために、一致タイプの若者たちに呪いをかけて、その未来を潰そうとする。
一致タイプの若者に、好きを仕事にされたら、自分の人生が否定されたような気になってしまうから、そんなものは許せないのだ。


一方で、一致タイプの大人は、好きを仕事にできた自分の人生を肯定するために、不一致タイプの若者たちに呪いをかけて、その未来を押しつぶす。
不一致タイプの若者が、やりたくもない仕事で金を稼ごうとしているのを見ると、退屈でつまらないやつらだと思う。
これは、一見、悪気はないかのようにも見える。しかし申し訳ないが、実際には、微妙なラインだと言わざるをえない。
実は、一致タイプの人は、不一致タイプの人がたくさんいることを、薄々感づいている。しかし、それを直視すると自分の世界観もしくはビジネスにとって都合が悪いので、それらを認めず、『未必の故意』で押しつぶすのだ。



ただ、この問題は、そんな簡単な話ではない。


問題をややこしくしていることの一つは、
「好きなことを根気強く育てていけば、それで生活できるようになる可能性が、ほんの少しだけある人」

という「ギリ一致タイプ」と、
「好きなことを根気強く育てていけば、それで生活できるようになる可能性が、ありそうに見えるけど、実はない人」

という「ギリ不一致タイプ」の存在だ。


この2つのタイプは、非常に見分けにくい上に、時代によっても変動していて、
観測するまでその状態が確定しない、シュレディンガーの猫みたいになってる。


なので、現実には、「ギリ一致タイプ」と「ギリ不一致タイプ」は、
まとめて、「不確定タイプ」として観測される。


実は、この「不確定タイプ」こそが、
一致タイプの成功者による「一致するする詐欺」のカモとなる。


「効果がある可能性がほんの少しだけある」
という欺瞞的な健康食品が巨大市場を形成しているように、
不確定タイプに、
「ギリ一致タイプである可能性がほんの少しだけある」
ということを利用して、不確定タイプを食い物にして、自分のプレゼンスを増大させる欺瞞が、昔からまかり通り続けている。


一般に、不確定タイプに対して、
「自分の好きを極めて、仕事にしよう」
と言う大人は、ポジティブで、未来志向で、善良で、若者に理解のある大人だと見なされる。
そういう人だと認識されれば、人脈が広がるし、ビジネスは格段にやりやすくなる。


一方で、不確定タイプに対して、
「好きなことを仕事にするとか、夢みたいなことを言うのはやめて、現実を見ろ。
好きなことは趣味だと割り切れ」
という人は、ネガティブで、後ろ向きで、残念な大人だと見なされる。


しかし、実際は、どちらも、同じくらい無責任で、有害な大人だ。


「自分がギリ一致タイプか、ギリ不一致タイプか」
という見極めは、自分の人生を賭けて行うものだ。
一致タイプの成功者たちや、不一致タイプの大人たちが、ポジショントークで口を挟んでいいようなものじゃない。


「自分がギリ不一致タイプであることに賭けて、カネのためと割り切って仕事を選ぶ」
という人生の方向性を決める重大な決断も、
責任を取ってくれるわけでもない他人が、つまらない決断だなどと言うのは、傲慢にもほどがある。


「ギリ一致タイプか、ギリ不一致タイプか」
のどちらに賭けるかは、あくまで、当事者の、神聖な決断なのだ。
一致タイプの成功者たちや、不一致タイプの大人たちの、自己正当化のための道具にしていいようなものでは、決してない。



ただ、これらは、所詮、少数派同士の、コップの中の揉め事に過ぎない可能性がある。
そもそも、圧倒的多数派は、「好きな事」自体がない、「不在タイプ」かもしれない。

いわゆる、無趣味な人だ。


こういう人は、実は、不一致タイプよりも、はるかに幸せかもしれない。
たとえば、僕の知り合いに、趣味でアプリを開発している人がいる。
とうてい金にはなりそうにないアプリだ。
その人は、いつも「本当は、自分のアプリを開発したいのに」と思いながら、会社のアプリを開発している。
プログラミングそれ自体はそんなに嫌いじゃないのに、
「オレが書きたいのは、ほんとうはこんなプログラムじゃない」
といつも思っていて、
「やりたいことがやれないまま人生が過ぎていく」
という苦痛に苛まれながら、仕事をし続けているのだ。



これに比べると、とりたててやりたいことがない「不在タイプ」は、
とくに好きでもない仕事をし続けていても、そういう苦しみはない。


とくに苦しみもなく、なんとなく生きて、なんとなく年をとって、なんとなく死ぬ人生。
すばらしいじゃないですか。


しかしながら、現実はそう甘くはない。


ほとんどの人にとっては、「好きな事」なんてものはないが、
「嫌な事」はたくさんあるからだ。
しかも、「嫌なこと」と「稼げること」は、かなり重なっている。


したがって、多くの人にとって、真に重要な人生の課題は、
「好きな事」と「稼げること」の積集合を見つけることなんかではなく、
「稼げること」と「嫌な事」の差集合を見つけることだ。


このことは、どんなに強調しても、強調しすぎることはないくらいだ。


しかし、こういうことは、テレビのコメンテーターは言わないし、アマゾンで人気の本などにも、書いていない。
なぜなら、これは、公言できない本音の部分だからだ。


なぜ公言できないかというと、
「好きな事」「嫌な事」「稼げること」
というのは、結局、全部、自分の都合でしかないからだ。


自分のことしか考えていない人とビジネスしたい人なんていない。
だから、こんなものを公言すると、人々に受け入れてもらえない。


なので、結局、建前として、以下のような『政治的に正しい』図が描かれることになる。*1


この4つの円が重なる部分こそが、政治的に正しい「生きがい」だ。


もちろん、現実には、
「世の中から必要とされてない仕事だよな」と思いながら仕事をしていると、
モチベーションは上がらないし、
「得意なこと」の方が、快適に、お金を稼ぎやすい。


しかしながら、所詮、それらは、「好きな事」「嫌いな事」「稼げる事」の
従属変数でしかない。


「世の中から必要とされてない仕事」だと好きになれない上に儲からないし、
「得意な仕事」でないと稼げない、
というだけの話だ。


だから、本当の本当は、
「好きな事」「嫌いな事」「稼げる事」だけで事足りるし、
そのメトリクスだけに思考を集中させた方が、
はるかに思考がクリアになり、正解に近づく。



こういう本音の部分が公言されない、
もう一つの理由は、ネガティブだからだ。


「この仕事、好きじゃないけど、そんなに嫌いじゃないし、お金のためにやります」
などと、醒めてて、消極的なことを言う人は、好かれないからだ。
人気のビジネス書を書くような人は、ネガティブな人だと思われたくないから、
そんな本は、書かないのだ。


正直に言うと、私も、実名でネットにこれを書くなんてことはしない。
当然、facebookには、書かない。


これは、匿名ブログでしか書けない、
本音の部分なのだ。


前提を整理して、見通しが良くなったので、
ようやく本題の、もっともっとヤバイ、本音の本音の部分に入ることにする。


人生の大きな問題の一つは、
「好きな事」というのが、年とともに変化する、
ということだ。
好きな事がとくになかった人が、
突然、やりたいことができるパターンもある。


たとえば、プログラミングが好きでITエンジニアになったのだけど、
子どもが生まれたら、子育てがめっちゃ楽しくなることがある。
システム開発なんかの100倍ぐらい楽しい。
なので、保育士になりたくなったのだが、
そうなると、年収が3分の1になってしまう。
それでは家族を養えない。


あるいは、おっさんになってから、
試しに小説を書いてみたら、どんどんスキルが上がっていって、
それなりに固定ファンも増えてきたんだけど、
どうみてもベストセラー作家にはなれそうもなく、
プロ作家になったら、年収が10分の1ぐらいになりそうだったりする。


そういう場合に、好きな事ができるかどうかは、
結局、金の問題に帰着する。


実際、医師をしながら、
小説の売上が年200万円なんていうプロ作家がいる。


また、働かなくても家族を養えるだけの十分な貯金があれば、
保育士になることだってできる。


一致タイプの人は、金に関係なく「好きな事」をやることができるが、
不一致タイプの場合、好きな事をやれるかどうかは、金次第になってしまうのだ。


一致タイプになるか、不一致タイプになるかは、運次第だ。
運良く一致タイプになったなら、金のことなんか気にせず、好きな事を一直線にやればいい。


しかし、運悪く不一致タイプになってしまった場合は、
それよりも、はるかに高度な戦略思考で、カネという兵站を、長い時間をかけて、確保しておかなければならない。


そして、現在一致タイプの人も、今後、「好きな事」が変化して、不一致タイプになってしまうリスクがある。
あるいは、「不在タイプ」の人も、いつ何時、「好きな事」が出来て、不一致タイプになってしまうか、分からない。


そして、いざ、不一致タイプになったときに、兵站が用意されてなければ、結局、やりたいことをやれないまま、一生を終えることになる。
それは、本当に、本当に、本当に、哀しいことだ。


もし、不一致タイプの人が、
一致タイプの成功者の唱える「一致するする教」をうっかり信じてしまうと、
『好き』を仕事にしようとして、低収入でお金が貯まらず、
結局、好きなことができないまま、一生を終えることになりかねない。


これは、本当に、恐ろしいことだし、
一致タイプの成功者の唱える「一致するする教」は、
それほどまでに、罪深く、有害なのだ。


そして、これは本当に、匿名ブログでしか書けないことだが、
不一致タイプの人になるリスクの大きい人がやるべきことは、以下のとおりだ。

(1)できるだけ多く稼ぐ。
(2)出来る限り低支出で暮らす。
(3)扶養家族は作らない。
(4)少ない労働時間で多く稼げる資格、実績、ブランド、ネットワークを育てる。


もちろん、こんな人ばかり増えたら、世の中はデフレになるし、少子化になってしまう。
しかし、安心して欲しい。
このブログを読んで、こんなことを実行する人間は、全人口の0.01%もいない。
このブログが原因でデフレになるなんてことは、100%あり得ないので、
心置きなく、「好きな事」を思う存分にするための、備えをすればいいと思う。


何しろ、自分の人生がかかっているのだ。
こんな局面でまで日本経済がどうたらという理由で人の人生に口出してくる人間の寝言など、聞いている場合ではない。


それでも、こんな考えを抱いているのは「政治的に正しくない」ので、
批判どころか、非難されるであろうことは、十分に承知している。


敢えて、これの「政治的に正しい」部分を、無理やり見つけて弁護するとすれば、
そうやって、「好きな事」をやった人が1万人いれば、
その中の1人2人は、世の中を変えるような、すごいイノベーションを
生みだすかもしれないってことだ。



こうして、呪いを砕き、かつ、十分な備えをしておけば、「その時」が来ても、呪いに精神を蝕まれることもなく、本当に、心から好きな事を、心の底から気持ちよくやることができる。



まとめると、以下のようになる。

●不一致タイプにとっては、「好きを仕事に」というのは、呪いであり、人生を蝕む毒である。
●一致タイプも、不在タイプも、将来的に、自分が不一致タイプになってしまうリスクがある。
●この呪いが、あなたの人生を腐らせる前に、この呪いの正体を突き止めて、粉砕し、自分を解放しよう。
●不一致タイプになたときに、「好きな事」をやる自由があるかどうかを決めるのは、カネである。
●不一致タイプになるリスクの大きい人は、多く稼ぎ、少なく支出し、固定費を最小限にし、不一致タイプ・ショックに備えよう。
●呪いを砕き、備えがあれば、たとえ不一致タイプになっても、それは不幸どころか、この上ない幸福となる。

最後に、ニーチェとかいうおっさんの言ってたことを引用して終わりとする。

あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。(著作:人間的な、あまりにも人間的な)

*1:これは4集合のベン図としては数学的に正しくない。そもそも、真円では4集合のベン図は書けない。ここでは、数学的正確さよりも、言わんとしていることのイメージを伝えることを優先して、敢えて「数学的には」不正確な図にしてある。