積み上がっていく仕事の山、長時間労働、サービス残業、休日出勤、終わりの見えない仕事。。。
日本の劣悪な労働環境はここ20年ぐらい、いっこうに改善される兆しが見えず、
いまこの瞬間も、鬱病患者と自殺者を量産し続けています。
このクソな労働環境を改善するには、いったいどうすればいいのでしょうか?
実は、最悪のクソ労働環境が劇的に改善される事態は、
人類史上、何度も何度も起こってきました。
どれも、ほとんど同じパターンです。
ここでは、その一つとして、かつてヨーロッパ大陸全域で起こった大規模な労働環境革命を取り上げてみます。
それは、まさに歴史の転換点でした。
最悪のクソ労働環境が劇的に改善し、
労働者の地位は飛躍的に向上し、
人々の生活は見違えるように豊かになったのです。
いまから千年ぐらい前、
ヨーロッパ大陸の大部分が、夜のような森に覆われていた時代にそれは起きました。
労働基準法どころか、人権すらなかった時代に、
彼らは、いかにしてこの歴史的大偉業を成し遂げたのでしょうか?
当時、労働人口の9割が農業労働者でした。
当時の農民の待遇は、
控えめに言って、最悪のクソ労働環境でした。
農民は、自分の経営する農地での労働の他に、領主直営地での労働を強制されていました(賦役労働)。
この賦役労働は、領主直営地での農作業に留まらず、領主の屋敷の建築・修理・警備、繊維製品や木工品、パンやビール、ワインの製造にまで及びました。
しかも、領主に納める賦課租(税金)や賦役労働は全てが事前に決められているわけではなく、
領主の都合で好き勝手に徴発されました。
せっかく一生懸命農作物を育てて収穫しても、領主の勝手な都合や気まぐれでごっそり持って行かれたりすることがよくあったのです。
「自由で独立した労働者が領主との対等な契約を結んで労働している状態」と、
「奴隷的な労働をさせられている状態」の違いは、
納める税金や賦課労働の内容が事前に契約によって決められているか否かにあります。
その意味で、彼らは法的には自由民のケースもありましたが、
実質的には奴隷的な労働をさせられていたと言えます。
ここには、現代日本のクソ労働環境と同じような構造がありました。
現代の欧米の会社では、ジョブディスクリプションによって、仕事の内容や範囲が事前に定められていることが多く、その範囲を超えて仕事を押しつけられることはあまりありません。
従って、現代の欧米の労働者は定義上、「自由な労働者」と言えます。
ところが、日本のクソ労働環境では、仕事の範囲が事前にはっきり決まっておらず、会社側の都合で好き勝手に仕事を押しつけられてしまうことがよくあります。
これは、1000年前のヨーロッパの農民が領主の都合で好き勝手に労働させられていたのとよく似た構造であり、法律上は会社と対等な契約を結んだ自由な労働者ではあっても、実質的には奴隷的な労働という側面があります。
ところが、あることが原因で、ヨーロッパの農民の待遇が劇的に改善します。
それまで領主の好き勝手に労働させられていた農民が、
領主からの賦役労働を免除されるようになりました。
しかも、領主の勝手な都合で収穫物を持っていかれることもなくなり、
事前に定められた契約通りの定率や定量の税だけ納めればいいようになりました。
農民の社会的&法的地位は、革命的に向上したのです。
いったい何が起こったのでしょうか?
いかにして彼らはこの好待遇を勝ち取ったのでしょうか?
ヨーロッパ大陸全域の農民が一致団結して、領主と交渉したのでしょうか?
いえいえ、いくら交渉したところで、そんな領主にとって都合の悪い条件を、領主がのむわけがありません。
それでは、農民達が武装蜂起して革命を起こしたのでしょうか?
いえいえ、そのころの農民と領主の軍事力の差は圧倒的で、武装蜂起で待遇改善を勝ち取るなど、とうてい出来るような力関係ではありませんでした。
キリスト教の指導者が、領主に愛の精神を説き、もっと慈悲深くなりなさいと指導したのでしょうか?
いえいえ、むしろ、教会や修道院が領主として農民に奴隷的労働を強制するのはよくあることでした。
愛や友愛がクソ労働環境を改善したわけではなかったのです。
クソな労働環境文化が、なぜか突然、消え去ったのでしょうか?
もちろん、クソ労働環境の原因の一つはそういう労働文化だったでしょう。
領主も農民も、そういうクソ労働環境を当然のこととする労働文化を内面化しており、領主は農民を奴隷のようにこき使うのが当然と考え、労働者にはそれを受け入れてしまう奴隷根性が染みついていたのでしょう。
まるで、現代日本のクソ経営者と社畜たちのように。
しかし、クソ労働環境文化など、経済的な前提が変われば、吹き飛んでしまうものなのです。
そんなことは、人類史上、何度も何度も起こってきたことです。
実は、ヨーロッパの農民の待遇を劇的に向上させた原因は、
大開墾運動でした。*1
領主達は、自分の所領の森を切り開き、畑にし始めました。
森を切り開いて畑にするには、人手、すなわち労働力が必要です。
そこで、領主達は入植者を募集しました。
ところが、現在と待遇が同じであれば、
わざわざ新しい開墾地に「転職」する理由がありません。
待遇が変わらないのであれば、わざわざ今までの生活を捨て、苦労して森を切り開いて畑をつくるなんてバカバカしいので、それでは人は集まりません。
そこで、領主はいままでよりもずっと有利な条件で入植者を集めることにしました。
具体的には、賦役労働はなく、定率や定量の税だけ納めればいい、というような条件でです。
こうして、森が切り開かれ、新しく畑が作られると、領主の収入は増えました。
農民も、いままでよりもずっとよい待遇になったので、幸せになりました。
収入が増え、生産性も上がり、生活は豊かになり、人口も増えていきました。
そうしたら、その成功を見た他の領主達が、同じことをやり出したのです。
すなわち、好待遇で入植者を募集し、どんどん森を開墾し始めたのです。
これが、ヨーロッパ大陸全域へ拡大していきました。
ここで重要なのは、近隣の古い村落の農民が、その好待遇に釣られて流出し始めたという点です。
これに危機感を感じた領主達は、農民の流出を防ぐため、古い村落の農民にも、同じ待遇を与えなければならなくなりました。
領主と農民の間の権力ゲームにパワーシフトが起きたのです。
こうして、開墾地だけでなく、ヨーロッパ大陸全域の農民の待遇が劇的に改善し、
最悪のクソ労働環境がみちがえるように改善し、
ついでに、人類史的な大規模森林破壊が起こり、
ヨーロッパ大陸を覆っていた夜のような森は、ずたずたに破壊されて消えていったのです。
ヘンゼルとグレーテルや眠れる森の美女や森の精霊達の世界も消えていったのです。
結局の所、農民の待遇を革命的に改善した原因は、開墾という新規ビジネスの立ち上げが創出した雇用であり、人手不足であり、労働力の需給バランスの変化でした。
開墾という新規ビジネスの立ち上げを、ヨーロッパ中の領主が一斉に始めたために、ヨーロッパ中が人手不足になったのが原因だったのです。
もちろん、これはなにも1000年前に一度起きただけのことではありません。
人類の歴史において、何度も何度も繰り返し起きてきたことです。
新規ビジネスが次々に立ち上がり、人手不足が起きるとき、労働者の待遇が改善するのは、人類の長い歴史において、何度も何度も起きて来たことなのです。
日本の高度成長期に労働者の待遇が劇的に向上し、多くの日本人の年収が文字通り倍増したのも、新規ビジネスが次々に生まれ会社が成長し、人手不足が起きたからなのです。
もちろん、現代日本において、クソな労働環境を改善するには、労働基準監督署の取り締まりを強化することは必要ですし、労働規制の強化が有効な部分もあるでしょう。
しかしながら、労働規制を強化しさえすればクソ労働環境が改善される、という考えはヌルいように思われます。
たとえば、現役霞ヶ関官僚のbewaad氏が、この問題について以下のように指摘しています:
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080913/p1
たとえば偽装請負問題について、派遣規制がそれなりのものであったからこそ請負という抜け穴を使われたわけで、派遣分野についての是正措置は十分には効を奏しませんでした。では請負の穴をふさげばよいのかといえば、もちろんふさがないよりはふさいだ方がいいですが、すべての穴をふさげるわけでもなし、すべての穴をふさごうとすればするほど、一般的には行政の力を強くしすぎたり、適切でない手法による規制が混じってしまったりする可能性が指数関数的に高くなっていきます。
是正措置の実効性を挙げるとともにそうした副作用の可能性を許容範囲に抑制するためには、労働市場の需給バランスを改善することこそが「真っ先にやるべきこと」ではないかというのがwebmasterの管見です。
要するに、規制を強化すると、規制の抜け穴を使って商売をする人が現れ、その抜け穴を塞ぐためにまた別の規制が必要になり、またその規制の抜け穴を塞ぐためにさらに別の規制が必要で。。。と、抜け穴を見つけ出して商売する人と、抜け穴を塞ぐ規制の不毛ないたちごっこが続き、穴のない労働規制を追求すると規制はどんどんふくれあがっていってしまうのです。
そして、規制を作るときは、その規制が民間の経済活動を阻害しないように注意深く規制を設計する必要があります。しかしながら、民間の経済活動がどのような展開になり、どのようなことが障害になりうるのかは、全てを予測するのが困難なことも多く、抜け穴を塞ごうとして規制を作れば作るほど、誤って民間の経済活動を阻害して経済を駄目にてしまう確率が高くなってしまうのです。そして、ミスが起こると官製不況などと大衆に叩かれるのですから、官僚の方は、たまったものではありません。官僚の人達だって、好き好んで間違った規制をして官製不況を作り出したのではなく、そもそも安易に規制を増やせと大衆が要求するから、官僚の人達が徹夜続きの朦朧とした頭で規制案を作り、経済への影響を読み切れずにミスが起きて官製不況を生み出してしまうのです。
これは、個人所得税の累進税率の上限が、世界中何処でも、多くてもせいぜい50〜60%ぐらいで頭打ちで、それほど大きな差がない理由とよく似ています。
世界に冠たる重税国家スウェーデンですら、所得税の最高税率は日本と大してかわりません。
なぜかというと、累進税率が高くなればなるほど、ビジネスを拡大するより税体系の抜け穴を探して節税努力をする方が、実質所得が増えるようになるからです。そこで、その抜け穴を塞ぐために別の法律を作ったり徴税ルールを変えたりしても、また別の抜け穴を探す、といういたちごっこが生まれます。こうしてどんどん法律を作っていくと、どこかで手違いが起こってまっとうなビジネスまで阻害してしまったり、ろくでもない副作用が生まれる確率はどんどん高くなっていきます。たとえば、ある支出項目を経費として認めると、それを利用して見かけ上の所得を大きく減らすことで、所得税逃れをする人が出てきたとします。この抜け穴を塞ぐため、その支出項目を経費と認めないようにルール変更したとします。すると、副作用として、それが経費として落とせないと商売がなりたたないようなビジネスを潰してしまうことになるのです。
高額所得者の場合、もともとの所得が大きいですから、仮に税率が低所得者と同じだったとしても、かなり高額な税金を支払うことになります。実際にはその上さらに税率まで上がるわけですから、納める税金の額はかなり巨大になります。そうなると、膨大なお金と時間をかけて抜け穴を探しだし、抜け穴を利用して節税したとしても、ペイしてしまうようになってしまうという背景もあります。
労働規制の強化もこの構造にそっくりで、規制による企業活動の阻害が大きければ、その規制を遵守するまっとうな企業より、抜け穴を探してビジネスする企業の方が、競争上有利になります。だから規制が強すぎると、本来の企業活動よりも抜け穴を探し、抜け穴を利用するシステムを作り上げることに経営資源を投入する方が企業の利益が増えるようになってしまいます。しかし、こんなことに資源が投入されても、労働者も消費者も豊かになりません。むしろ、国全体が貧しくなります。
結局の所、法規制と役人の仕事を無制限に増やし続けることによって抜け穴をふさぎ続ければ、いつかはクソな労働環境を一掃できる、という発想は、安直でスジが悪いのです。悪手なのです。
何でも規制を強化することによって解決しようとすると、ろくでもない副作用が生まれ、行政コストは上がり、社会全体を貧しくしてしまいかねないのです。
これに比べると、bewaad氏の指摘する労働市場の需給バランスを改善する方法の有効性は、人類の長い歴史が証明しています。
需給バランスの改善によるクソ労働環境の排除という方法は基本的にスジが良く、副作用も比較的酷くないことは歴史によって実証されているのです。
もちろん、これらは二者択一ではなく両方が必要ですが、優先順位の問題として、新規ビジネスがどんどん立ち上がり、雇用が生み出されるような環境を整備することによってクソ労働環境を改善する方法をまず真っ先に模索する方が良策なのではないでしょうか。
そして、新規ビジネスの立ち上げが十分に行われるような環境を整備した上で、それでも足りない分を、補助的に労働規制の強化で補うのが、正攻法なのではないでしょうか。
また、ときどき「景気が良くなっても労働者の賃金は上がらなかったじゃないか」ということが言われることもありますが、これはタイムラグのせいでそう見えるだけでしょう。実際には、景気が良くなってビジネスが拡大し、企業が十分潤い、資産家が潤い、高所得者が潤う期間が十分に長く続いた後、最後に労働者の人手不足の深刻化が臨界点を越え、労働者の待遇改善が引き起こされるのが歴史上繰り返されてきたパターンです。ところが、ここ20年ぐらいの日本では、人手不足が深刻化して労働者の待遇が改善されるほどの力強い景気回復は一度も起きていないのです。
それから、ここで重要なのは、新規ビジネスの立ち上げによる雇用の創出を政府だけに期待するのはお門違いだということです。
政府ができるのは、新規ビジネス創出のための障害を取り除くこと(ex. 金融緩和とか為替レートの是正とか規制緩和とか法整備)ぐらいであって、実際に新規ビジネスを立ち上げで雇用を創出するのは民間です。
この20年、日本経済が低迷していた間、GoogleもYahooもマイクロソフトも大きく発展し、アメリカに良質の雇用を生み出してきましたが、GoogleもYahooもマイクロソフトも米国政府や政治家や役人が作り出したわけではありません。これらのビジネスや雇用は、アメリカの民間の若者達が作り出したのです。
国民の生活を楽にしてくれる政府を望む声が大きいですが、実際には、国民の生活を豊かにするのは、政府の役割ではありません。
国民の生活を豊かにするのは、民間の経済活動であり、社会活動です。僕や私やあなたたちが、自分たちの生活を作っていくのです。
政府が僕たち私たちの生活を豊かにしてくれるのを口をあけてまっていても、お母さんみたいに優しい政府が全てなんとかしてくれるなんてことはないのです。
国民の生活を豊かにするために政府ができることは、せいぜい民間が自ら豊かになろうとする行動を邪魔しないことだけです。
我々の経済活動を阻害する異常なデフレを解消し、異常な円高を解消し、無駄な公共工事を廃止し、腐敗し肥大化した天下り組織を健全化し、しっかりしたセイフティーネットを作ることだけです。
そして、セイフティーネットというのは、あくまで転落したときに最悪の事態を避けるための最終的な歯止めでしかなく、それによりかかって快適なニートライフを楽しめるようなものではないです。そんなものができあがるというのは、童貞中学生のオナニー的な妄想に過ぎません。それがあるから、豊かな生活を営めるようなものではないのです。生活の豊かさを作り出すのは、あくまでも政府ではなく、民間なのです。
まるで「自分ではない誰か」だけの責任であるかのように、ブラック会社批判をしている人をよく見かけますが、民間人であるあなたも当事者なんですよ。「自分ではない誰か」だけの責任ばかりじゃないんです。
日本のクソ労働環境を愚痴っているヒマがあったら、自らクソ労働環境を解消する行動をしてみてはどうでしょうか。具体的には、自分でまっとうな会社を作ってみてはどうでしょうか。あるいは、あなたがブラックな中小企業で働いているなら、その労働環境をクソでなくなるように改善してみてはどうでしょうか。
それができないなら、せめてそれらを手伝ってみてはどうでしょうか。あるいは、そういう会社に出資してあげてみてはどうでしょうか。そういう会社を支援するための時間もスキルも資金もないなら、せめてクソ労働環境を改善するための具体的なスキルを身につける努力をしてみてはどうでしょうか。あるいは、それらを持っている人達が、まっとうな会社を支援するように促してみてはどうでしょうか。昨日も今日も明日も、「もはや新規ビジネスを立ち上げる余地はない」だの「景気が良くなっても労働環境はよくならない」だの、政府の規制強化に期待するばかりで自らは何も行動しない自分を正当化する理由を延々と並べ立て、「自分ではない誰か」の批判をやり続ければ、まっとうな明日がやってくるなんてことはないですよ。
産業を作り出し、労働環境を改善し、生活を豊かにする仕事の主役は、政府でも政治家でも役人でもなく、民間人であるあなたなのですから。
*1:ブコメで黒死病によってヨーロッパの人口が激減したことが原因との指摘がありましたが、大開墾運動によって農民の待遇が改善したのは、黒死病による人口減が起こる何百年も前のことです。