無気力なニートに「生きる力」や「人間力」を?

まず、政府の統計で用いられるニートって言葉の定義から。政府の人が「ニートは○十万人」とかいうときのニートの定義です。
それは、この記事『「ニート」って言うな!』からすると、

(1)単なる若年失業者
(2)留学・進学の準備中の人
(3)芸術・文化活動に取り組む人
(4)障害や病気を持ってて働けない人
(5)昔から一定数いる、働く気のない若者
(6)ひきこもり

のことらしいです。

で、このうち、

(1)単なる若年失業者

は、ニートとみなす人とそうでない人がいませんかね?
ぼく的には、「そりゃ、単に、職にあぶれた若者じゃね?」という感じなんですけど。
彼らにしてみれば、いわゆるニートなんかといっしょにされたらたまらなくないですか?
彼らに必要なのは、職をゲットするための具体的な戦略であって、「人間力」とか「生きる力」とかのゴタクじゃないというか。

また、

(2)留学・進学の準備中の人

は明らかにニートじゃないでしょ。それは、単に勉強中なのといっしょですよ。

(3)芸術・文化活動に取り組む人

これも、ニートじゃないでしょ。
むしろ、企業であくどく金儲けしている人より、よっぽど社会貢献しているかもしれないとか思います。

(4)障害や病気を持ってて働けない人

これも、ニートじゃないです。単なる障害者だ。病人だ。

で、ビミョーなのが、

(5)昔から一定数いる、働く気のない若者

です。
知り合いの96才のばあちゃんも言ってたけど、働きもせずにぶらぶらしているゴクツブシはばあちゃんが子供のころも珍しくもなかったって。
これはさらに細かく分類されると思います。

(2-A)遊んで暮らしたい若者
(2-B)単に働きたくないだけの怠け者
(2-C)働くことに価値を見いだしていない若者
(2-D)働く必要がない若者

で、同一人物が、これらの属性複数を兼ね備えることもあるけど、基本的には、別に扱った方がよいのではないかと。
このなかで、ニートと呼べそうなのは、(2-C)ぐらいのような気がする。
あとは、ニートというより、昔風に、放蕩息子とかゴクツブシとか呼んだ方が分かりやすくないですか?

で、オイラ的には、唯一、ぴったりニートのイメージなのが、

(6)ひきこもり

なんですよね。
ただ、世間一般の「ひきこもり」の定義は、物理的に引きこもっていることなんですよね。
だから、ひきこもりはニート十分条件だけど、必要条件じゃないと思うんですよ。
つまり、ひきこもりはニートと呼べるけど、物理的に引きこもっていないニートもいると。
つまり、なんか、世界認識と自己認識がわれわれとは、著しく異なっている人たちで、人生に意味はないとか考えちゃっている(オイラに言わせれば、そもそも「意味」という概念自体の意味を明らかにしないでそんなふうに思い込むのが違う感じなんですが)人たちであって、必ずしも物理的に引きこもっているとは限らず、普通に外出してふらふらしている人たちも多いと思うんですよね。それがぼくのニートのイメージ。

で、ぼく的には、そういうリアルニートの問題は、ニートたち自身の問題じゃなく、単に彼らのために物理的・経済的な支出を強いられている人たちの問題として留めておくべきじゃないかと。つまり、心理とか精神とか道徳とかを持ち出さずに、物理的・経済的な問題としてだけ扱った方がスムーズにいくと思うんですよね。
人間力」とか「生きる力」とか古色蒼然たる宗教をニートたち自身に押しつけても、余計なおせっかいというか。「ほっとけよ」って気がするんですよ。
一方で、被害者たちは、これ以上被害を受けないようにする物理的・経済的対抗策をとる権利があると思うんですよ。
具体的にいうと、まず、ニートを持つ親は、ニートを部屋からたたきだせばいいのじゃないでしょうか。「もう子供じゃないんだから、経済的に自立しろ。自分で稼ぎ、自分で部屋を借りて、自分で暮らせ。正月と盆暮れぐらいは帰って来い。」と言えばいい。
そんで、たたきだされたニートが途方にくれて、食うに困ったら、フリーターでもなんでもやればいいんじゃないかと。 フリーターの職すらも見つからないという問題については、たんなる失業者問題なので、ニートの問題とはまた別問題なのではないかと。そのときは、「ニートがフリーターの職をゲットするための具体的な方法」というブログ記事でも書きますよ(笑)。
また、浮浪者になったとしても、それも浮浪者の問題であって、ニートの問題ではない。そして、日雇い労働者も浮浪者も、はるか昔から存在するわけだから、人々がはるか昔から対処してきたように対処すればよいだけの話で。これについても、「浮浪者になってしまったニートが、フリーターになるための具体的な戦略」という記事でも書けばいい。そして、もちろん、それは、時代の進歩とともに、対応策も、改善していくべきだけど、少なくとも、ニートという、なにか精神的・道徳的な問題に還元するよりは、よっぽどマシな対策になるのじゃないかと思います。

そして、子供がかわいそうで、たたきだすことができないという両親は、不平を言わずに、責任をとって一生そのニートを養っていけばいいだけの話で。

また、たしかに、ニート現代社会の社会的病理かもしれないけれど、だからと言って、その社会的病理を精神論や道徳論で対処しようというのは、短絡的すぎる考え方じゃないでしょうか。たとえば、仕事で失敗して、経済的にも精神的にもボロボロになっちゃった人が、いくらカウンセラーに通っても治らなかったのに、ビジネスで一発逆転して大成功したとたんに、すっかり元気になっちゃったりするでしょ。そのケースでは、精神的な治療なんかより、物理的・経済的・具体的な現実の変更の方が、はるかに効果があったわけです。

というわけで、「ニート問題は、精神論ではなく、物理的・経済的・具体的な対処法を」という主張をためしにしてみました。