Web2.0は自殺し、ゾンビーになって徘徊する

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天然資源由来の富というのは、再生産が利かない。こういった富は、むしろ独占すればするほどうまみが出てくる。金持ちが「金なし」を援助する理由というのはあまりない。これを「富1.0」と呼ぼう。
これに対して、「北の富」というのは、そのほとんどがモノの値段ではなく知恵の値段だ。クルマもケータイも、フツーの人が飢えていては製品とはなりえない。いわゆる中産階級が成立して、はじめて市場が成立するのだ。これが、「富2.0」。


そうではない。
独占によるうまみは、富1.0などより、Yahoo、Google、楽天、Amazonといった現代のIT企業のほうが巨大なのだ。
ある意味、Yahoo、Google、楽天、Amazonは、人類史上、もっとも質の悪い独占企業なのだ。
なぜなら、ITビジネスにおける独占は、人類がいままで経験したことのない爆発的な富の噴出源となるような、異質の独占となる
からだ。*1


その異質さは、

(1)ソフトウェアというのは、設計コストが大きく、製造コストが極端に小さいため、富1.0よりもスケールメリットの効果が大きい。
(2)より多くのユーザが同一のソフトウェア(およびそれに基づくサービス)を使うことによって、大きな価値が生み出される。(集積効果、ネットワーク外部性)

の2つの要因から来るものだ。


たとえば、Yahoo、Google、楽天、Amazonが市場を独占or寡占して、独占or寡占による弊害がでてきたとしても、その独占をやめさせ、自由競争状態を作り出すために、新規参入を促したり、企業分割して同じ業種の企業を複数作り出すことは、現実的ではないことが多い。


たとえば、Amazonが市場を独占したら、Amazonを二つに分割し、二つのAmazonを競争させることで、価格の低下とサービスの向上の競争を再びもたらそうとすると、

(1)二つのAmazonは、それぞれ別々にソフトウェアを開発しなければならなくなる。(スケールメリットが毀損される)
(2)片方のAmazonで購入したユーザの履歴情報によって、もう片方のAmazonで購入したユーザに「この本を買った人は、こんな本も買っています」と表示することができない。(ネットワーク外部性が生み出す価値が毀損される)

ということが起きるので、競争によってサービスは向上するどころか、逆に低下しかねないし、価格は低下するどころか、逆に上昇しかねない。


また、新規参入しようとする企業は、この2つの要因が、仇になって、既存の大企業に太刀打ちできない。たとえば、Mixiより品質の優れたSNSを新たに立ち上げたところで、Mixiの方が、より多くのユーザとつながれる可能性が高いという理由で、かなりMixiの品質の方が劣っていてさえ、ユーザはMixiを選ぶだろう。
しかも、新規に立ち上げたSNSは、ユーザ数が少ないうちは、1ユーザあたりのソフトウェア開発コストが大きくて、利益も出ない。


もし、新たなSNSを立ち上げるとしたら、Mixiと別コンセプトで、別のユーザニーズをくみ上げなければならない。しかし、それは、新市場の開拓であって、独占されてしまった既存の市場に自由競争をもたらすことには、必ずしもつながらない。


しかし、これが、石油や鉱物などの、富1.0の産業だったら、独占禁止法なり、公正取引委員会なりが介入して、企業の独占を防止したり、あるいは、独占した企業を解体して、もとの自由競争状態を作り出しても、IT企業ほどの価値の毀損は起こらない。
むしろ、独占による弊害が取り除かれ、サービス向上競争や、価格競争が起こり、むしろ、より多くの富が人々にもたらされるだろう。


結局、これは、独占による弊害と、独占によって生み出される富との、収支バランスの問題なのだ。
ソフトウェアに基づく産業というのは、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性が極端に大きくなる傾向があるために、独占による富の創出効果が、独占による弊害を上回りがちなのだ。独占が発生した方が、企業もユーザも得な状態が、一時的に発生するのだ。


つまり、ITビジネスとは、本質的に独占状態が発生しやすく、しかも、独占を防ぎにくいという性質を持っている。


そして、もともと、自由市場経済には自殺癖がある。


市場経済下においては、自由競争によって、サービス品質の悪い企業や、価格競争力のない企業が淘汰されていく。
これによって、サービス向上と価格低下がもたらされ、人々の生活は豊かになる。
しかし、淘汰が進んでくると、市場における企業の数が少なくなってくる。寡占だ。最悪の場合、独占になるだろう。


すなわち、市場経済における自由競争は、自由競争のない状態を必然的に作り出す。すなわち、自由市場は自殺するのである。


この、自由市場の自殺を防止したり、自殺してしまった自由市場を蘇生するために作られた装置が、独占禁止法であり、公正取引委員会なのだ。


ところが、ことITビジネスに関する限り、この自殺防止装置が、うまく機能しない。


なぜなら、自殺したIT産業は、死んだ後も、ゾンビーとなって歩き回るからだ。
ゾンビー市場とは、とっくに自由競争なんて無くなり、独占による搾取が行われている死んだ市場なのにもかかわらず、まるで健全に自由競争が行われているかのように錯覚される市場のことだ。(オイラが今、命名した)


たとえば、日本のネットオークション市場は、すでにゾンビーなのかも知れない。
ヤフーオークションは、凄まじい利益を生み出し続けているが、その利益の大半は、企業努力の成果と言うより、単に独占に近い寡占がもたらす、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の効果によるものだ。


「「自由競争によって、企業は適正な利益を抜いた残りの利益は、ユーザに還元するようになる」という理屈がITビジネスでは通用しない」というのは、まさにヤフオクが証明している。


ITビジネスにおいては、独占や寡占によって、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性が爆発的な富を生み出すが、多くの場合、その富はユーザにはわずかしか還元されない。
しかし、少なくとも、最初のうちは、そのことはユーザにはあまり意識されない。
なぜなら、独占が行われても、最初のうちは、価格が上がることはないからだ。


ITビジネスにおいて、独占によるうまみの大部分は、価格をつり上げることによる消費者搾取でななく、独占によって(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性が爆発的な富を生み出すところから来る。
この爆発的な富は、企業努力の成果などではなく、単に、独占がもたらすものに過ぎないのに、その富のごく一部を、サービス向上や価格低下に投入するだけで、ユーザにとっては質の良いサービスを安い価格で提供されることになり、ユーザはそれを、「企業努力の結果だ」と錯覚する。
「よいものを安く提供している企業が儲けても当然だ」と安易に思いこんでしまう。


しかし、もし、ヤフオクが強欲でなかったとしたらーーーすなわち、「企業努力に見合った適正な利益」だけをサービス価格に乗せたとしたら、ビッダーズなどの、ライバル企業は、一瞬で消し飛び、草の根一本残らないほどの深刻な独占状態になりかねない。
なぜなら、ライバル企業は、独占がもたらす(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の富を持たないから、サービス品質向上やコストダウンをいくらやったところで、とうていヤフオクにかなわないからだ。


ここでのポイントは次の2つだ。
(A)そもそも、この、ITビジネスにおける独占が生み出す、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の巨大な富は、誰に還元されるべきものか?という点。
(B)独占が起きたとき、一時的にはサービスの低下や値上げなどが起こらないが、長期的には、サービスの低下と値上げを起こすのではないか?という点。


ゾンビー市場によって利益を享受するヤフーのような企業は、この問題をごまかすために、わざとライバル企業を生かさず殺さずの状態にしておく。すなわち、ヤフオクは、ビッダーズを生かさず殺さずの状態にしておく。


同一市場に、二つ以上の選択肢があれば、ユーザは、その二つの選択肢のコストとメリットを比較して、良い方を選ぶので、納得感があり、単によいサービスをしている会社が儲けるのは、当然のことだと考えるようになる。


また、ユーザ数が少ないために、この(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の効果がマイナスになっている企業は、その企業努力に比べて、粗悪な品質のサービスを、より高い値段で提供せざるを得ないので、ヤフオクのような市場のNo.1は、企業努力に比べ、極めて粗悪な品質のサービスを、暴利の利ざやを乗せて販売しても、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性が生み出す富がカモフラージュしてくれるからだ。


この、独占が生み出した(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の富は、椅子取りゲームに勝つことによって得られるものだ。しかし、それは、リスクを冒して新規市場を開拓したパイオニアの、先行者メリットであり、それは、最初にリスクテイクしたYahooのような企業が独り占めして当然だ、という考え方もあろう。


しかし、独占が生み出す(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の富は、地道な企業努力をするのなんか、バカバカしくなるほど、あまりにも爆発的に巨大である。
また、地道な努力により、じっくりと価値創出し、人々の暮らしを豊かにする人間に分配される富と、単に目端が利いて、素早く、独占による富をゲットするのが得意な椅子取りゲームの達人に分配される富とでは、あまりにも差がありすぎるのではないか?


この問題が、漫然とハードワークし続けるだけの人と、社会にとっての価値を創出するために創意工夫して努力をする人の問題と根本的に違うのは、価値の創出の部分である。


そもそも、漫然とハードワークするだけの人の努力は、価値を創出するための努力ではないから、そんな努力は、社会的に奨励されるたぐいのものではない。


しかし、、(1)人が欲しがるモノで、(2)しかもまだあまり供給されていないものを、(3)低コストで提供しようと、賢明に知恵を絞って努力することは、まさに、社会において奨励されるべき価値のある努力である。


一方で、市場をよく見極め、独占が生み出す(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の富をすかさずゲットしに行く努力とリスクテイクは、山師の努力である。地中に埋まっている、原油や鉱脈を見つけ出す努力である。


もちろん、社会は鉱脈を見つけ出してくれる山師の努力を必要としており、それはそれで、奨励されるべきものだ。


問題は、実際の原油や鉄などの鉱脈の発見が、そこから鉱石を掘り出し、人々に供給することにより、人々にもその利益が還元されるのに比べ、ITビジネスの独占における(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性というのは、掘り出した人間が独り占めするだけで、世の中を豊かにすることに、使われないということだ。


もちろん、その人間が掘り出さなければ、この世の中にそのサービスが存在することはなかったと言えるほどの、とてつもなく独創的なサービスなら、掘り出した人間は、人々の暮らしを豊かにしたことになる。しかし、ITビジネスの場合、その人間がそれをやったタイミングが、他者より少々素早かっただけで、その人間がそのときやらなくても、数年後には、結局が誰かが立ち上げたであろうサービスであることの方が、ずっと多い。すなわち、単にその山師は、椅子取りゲームにおいて、ほんの少しだけ他者よりも椅子に座るのが早かっただけなのである。そして、椅子取りゲームが得意な人間に与えられる報酬としては、その爆発的な富は、はたして、適正な報酬なのだろうか、という疑問がわくのだ。


この意味で、現代のITビジネスの山師とは、富1.0の時代の山師より、はるかに質が悪い。
彼らは、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の生み出し続ける富の上に、あぐらをかいて、腐敗し続けるのだ。


だから、ゾンビー市場における、勝ち組企業には、注意した方がいいと思う。
はてなダイアリーより、後発のYahooブログが、はてなダイアリーを一瞬で抜き去れるのは、Yahooの企業努力よりも、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の生み出す富によるところが、はるかに大きいのだ。
もちろん、そんなことは、Yahooの人間たちだって、よく分かっている。しかし、同時に、この成功は、自分たちの努力によるところも大きい、と密かに思っているのである。つまり、自分たちの努力を過大評価して、奢っている。典型的な権力腐敗の構造だ。


努力せずに果実を味わえる者は、ほぼ例外なく腐敗する。
(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の生み出し続ける富とは、まさに、努力せずに与えられ続ける富であり、これを享受する人間たちは、腐敗していく。


この意味で、「Web2.0で、サービスがますます人々のものになっていく」と思うのには、幻想がある。
Web2.0といえど、基本的には、独占によって得られる(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性という果実は、とてつもなく甘く、独占企業は、やがて腐敗しはじめる運命にある。
かなり腐敗が進んでも、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性によって、必死で価値ある企業努力をつづけるライバル企業よりは、良いサービスを提供できてしまうからだ。市場による腐敗防止効果が働かないからだ。
権力は腐敗するし、絶対権力は絶対に腐敗するのだ。


そして、その独占による腐敗が、富1.0の産業のように、独占禁止法や公正取引委員会の介入によって防ぐことが難しく、しかも、その独占によって得た利益を消費者に還元せずに、独り占めしたとしても、それが容易にカモフラージュされてしまうということを考えると、富2.0の独占企業は、富1.0の企業よりもむしろ、質が悪いのだ。


逆に言えば、いま、Yahooに就職するのは、ある意味、それほど間違った選択とも言えない。
Yahooで働けば、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性の生み出す富の分け前にあずかれる。
Yahooでなら、同じ努力でも、ずっと努力の成果が出やすい。


ただ、ここに罠がある。
Yahooで働き続けると、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性によって、下駄を履かせられ続けるために、知らず知らずに、自分が腐敗し、他の企業では、通用しないヌルい人材になってしまうということだ。
ヌルい努力で、簡単に成功がゲットできるというのは、短期的には楽ちんだが、長期的に見ると、自分の価値創出能力が目減りし、歩く不良債権にしてしまうのだ。もはや、人材としては、死んでいるのに、(1)スケールメリットと(2)ネットワーク外部性がアウトプットを作り出すので、まるで、生きて成果を出し続けている人材のように錯覚されてしまう、ゾンビー人材にしてしまうのだ。*2


IT産業の未来とは、ゾンビー市場をゾンビー人材が徘徊する、不気味な世界なのかも知れない。

*1:話の流れからすれば、富1.0と富2.0を対比させた方が自然なことは分かっているが、それでは、かえって話が抽象的になりすぎて、焦点がボケるので、ここでは、敢えて、富2.0のサブセットである、ITビジネスを典型例として取り出して話をする。

*2:もちろん、Yahooにも優秀な人はたくさんいます。罠があるということと、その罠に引っかかるかどうかということは、別の話。この罠に陥りがちなのは、もともと自省的な思考の苦手な独りよがりキャラ。