日本経済が月収40万円の家庭だとしたら


そのうち、可処分所得は、40万円です。


この家庭は、まったく借金をしていないので、ローンの返済分を考える必要なんてないのです。


そのうえ、この家庭には、1350万円もの財産があります。
この家庭は、地球村でも、かなり裕福な家の一つなのです。


この家では、月収40万円のうち多くを稼いでいるのは、子供たちです。
一方で、1350万円の財産のうち多くは、祖父母と定年退職した両親の財布に入ってます。


この家族は、超個人主義で、各人が独立採算で生活しています。
自分の貯金は基本的に自分だけのものだし、自分で稼いだお金は自分の財布に入れるのです。


みな、それぞれ個室を持っていて、自分の部屋の家具は、自分のお金で買います。
自分の服も食事も、自分のお金で買います。


ただし、玄関や廊下や風呂・トイレの備品の購入や清掃費などは、家族全員からお金を徴収して、支払います。
そのために使う、家族共有のお財布(政府の財政)があります。
家族の中から、病気になったり、働けなくなって貯金が底をついた人が出たとき、助けるためのお金(福祉費)も、そのお財布から出します。


この家では、家族全体のお財布には、毎月4万円が入ります。
ただし、この家族共有の財布の名義で借金をしており、4万円のうち、1万5千円が、その借金の返済にあてられます。


あれ?この家庭は、借金ゼロじゃなかったのでしたっけ?
そうです。
この「家庭」自体の借金はゼロです。この家庭は、そとからお金をまったく借りていません。
足りないのは、「家族共有の財布」の中身だけなのです。


その、家族共有の財布に足りない分は、家族のメンバのうち個人財産をたくさんもっている人が、貸し付けています。
つまり、家族内で貸し借りをしているだけで、家庭の外からは、借金をしていません。
とても健全で、裕福な家族です。


なので、家族全体のために使えるお金は、月に2万5千円。。。のはずです。


しかし、実際には、家族全体の費用として、毎月4万9千円の支出しています。
年をとって働けなくなったのに、貯金も底をつきかけている祖父がいるため、その補助にお金が嵩むのです。


このため、毎月、2万5千円ー4万9千円=2万4千円足りなくなり、その分毎月新たに借金をしています。


この家庭共有の財布は、毎月1万5千円借金を返済しながら、毎月新たに2万4千円の借金をしているので、
2万4千円ー1万5千円=9千円、毎月、借金残高が増えています。


ちなみに、現在の借金残高は、1000万円を超えています。
これが、今この瞬間もどんどん増えているわけです。


しかし、こんなのたいしたこと無いです。
だって、1350万円も資産があるんですから、差し引きプラスじゃないですか。


もし、ここで、この1000万円の借金を返済したら、どうなるか?
借金を返済するには、家族のメンバの個人財産を1000万円分徴収し、家庭共有の財布に入れなければ成りません。
そうすると、家族のメンバは、1000万円を徴収されて、1000万円を返済されることになります。
1000万円の徴収によって、1000万円分個人資産は減りますが、1000万円を返済されても、債権が現金になるだけで、個人資産は、増えも減りもしません。
結局、1350ー1000=350万円が家族の手元に残ります。
つまり、一見、1350万円あるように見える財産は、実際には、350万円なのです。


それでも、全部の借金を支払った後にも、まだ350万円も残るのですから、状況はそれほど悪くないのです。


また、この350万円が、この家庭の全財産かというと、そんなことはありません。
実は、この、家庭共有の財布が、1000万円もの借金をかかえることになった原因の一つが、玄関とか廊下とかトイレとか風呂とかの家族全員の公共施設(道路、橋、公民館、福祉施設、etc.)をきれいで立派なものに改修するのにたくさんお金が使われたからなんですね。
つまり、それらの立派な公共施設も財産なわけで、その財産の価値が、350万円に上積みされます。
ただし、無意味にキンピカでおしゃれなトイレやめったに行かない奥の方の部屋への廊下を豪華にするなど、無駄なお金もたくさん使ったので、借金してまで作った公共施設が、全て財産になったわけじゃありません。中には、単に借金を増やしただけの無駄な公共投資もたくさんありました。
また、そういう公共施設とは別に、この家庭は、ご先祖様から代々受け継いできた庭や壺や掛け軸(国有林、国立公園、公共の博物館などなどの国有財産)があります。また、住み込みの家政婦さんのための部屋(公務員宿舎)なんかもあります。
そういうものも含めれば、かなりの規模の資産になります。


ただ、これらの家庭共有の財産のほとんどは、売って現金化することはできないんですね。
家政婦さんのための部屋(公務員宿舎)ぐらいは売っぱらってもいいかもしれませんが、大した現金にはなりません。


話をもとに戻すと、この、家庭共有の財布が1000万円もの多額の借金をしていると、せっかく、家族から毎月4万円ものお金を徴収しても、借金の利子の支払いに結構な額がとられてしまいます。


え?その利子は、結局、家族の他のメンバの個人収入になるだけだし、家庭の中でお金がぐるぐる回るだけだから、問題はないのじゃないかって?
それは違います。
もし、家族のメンバが、そのお金を自分の家庭の家庭共有の財布に貸し出さず、地球村の他の家庭に貸し付けていたとしたら、利子の分だけ、家庭の収入が増えるんです。
家族の内輪で貸し借りしていても、家庭の収入は全く増えませんが、いま、家族内で貸し付け合っているお金を外に貸していたら、その利子の分だけ、家族の月収が増えることになります。
つまり、家族の内輪で貸し付け合っていると、資本のコスト分だけ、損をしているわけです。


そして、この家庭は、最近、高齢化が進み、お金を稼がず、貯金を食いつぶして暮らすメンバが増えてきています。
つまり、これから先、家庭の貯金は減っていく流れなのです。


そして、困ったことに、年取って病気がちになり、貯金が底をつくメンバが増えてきました。そうすると、ますます家庭共有の財布から、ますますたくさんの出費が必要になるのですが、家族共有の財布には、あまりお金がないので、困った人をきちんと助けられない状態になってきています。


お金に余裕のある、家族の他のメンバが助けてあげれば済む話じゃないか、というと、そうもいきません。
この家族は、超個人主義であり、困った家族がいても、自分のお財布からお金を出して助けてあげたりなんかしないんです。


じゃあ、この家の家族会議で、たくさん個人財産を持つメンバの財産を強制的に、家庭共有の財布に入れてしまえばいい。というわけにもいきません。
なぜなら、この家の家訓に、「私有財産の不可侵」というものがあって、いくら、家庭共有の財布が、大赤字で大変なことになっていても、家族の個人の財産を勝手に徴収することが出来ないんですね。

また、いくら身内からお金を借りていると言っても、この借金は、絶対に踏み倒すことが出来ません。身内なんだから、利子をまけてよ、とか、全部返すのムリだから、とか、いまお金がないから、返すのを先にしてよ、などという泣き言は、一切通用しません。家族のメンバは、お金の貸し借りについては、とてつもなく冷徹なビジネスマンと同じで、泣き落としの通用するような情は、ひとかけらも持ち合わせていません。つまり、全くの他人に貸しているのと同じように、まるで融通が利きません。


しかし、そうしている間にも、家庭共有の財布の借金はどんどん増えていくし、年老いて病気がちの貧乏な家族も増えていきます。


ただ、一つ、明るい兆候があるのが、一時期低迷していた家族の月収が、最近また、次第に増え始めていることです(景気回復、経済成長)。このまま順調に月収が増え続ければ、家庭共有の財布に入るお金も増えていくはずで、そうすると、そのうち、月々返済する借金が、新たに借り入れるお金を上回るようになり、借金は減っていくことになります。
そうすれば、また、家族の中の困った人をちゃんと助けることができるようになり(福祉)ます。
つまり、このまま、家族の稼ぎが増え続ければ、なにも困ったことは起きないのです。


しかし、困ったことに、お父さんもお母さんも定年退職し、この家族の働き手は、どんどん減ってきています。また、この家族の子供の数は少なく、今後も、働き手が増える見込みはありません。また、子供たちは、赤ちゃんを一人しか産んでいないので、何十年も先まで、この家庭の働き手は増えそうにありません。


なぜ、子供たちは赤ちゃんをあまり生みたくないのかというと、この家庭共有の財布に余裕がないせいで、赤ちゃんを育てるための補助が得られない(保育所、産科医、小児科の不足)というのも、要因としてありますけど、それよりもはるかに大きな要因は、なにより必ずしも結婚して子供を産むのが当たり前であるという価値観が崩れてきたのと、グローバル化、IT化、知識経済化などの環境変化で、実力主義成果主義、競争の激化など、職場環境が厳しくなって、時間的にも収入的にも疲弊し、子育てにさける余裕が無くなってきたことと、生まれてきた子供も、競争社会で生き抜くための質の高い教育を受けさせたいので、一人の子供にたくさんのお金がかかり、あまりたくさんの子供を育てられなくなってきたからということです。


このため、家族の月収が増え続ければ(一定以上の割合で経済成長し続ければ)、確かに借金は返せるのですが、この前提(経済成長)がどうも怪しくなってきたんですね。


しかし、借金まみれで困っているのは、あくまで、この家庭共有の財布(政府の財政)と、その共有財布に助けられて(福祉)生きている病気・障害・貧困の家族メンバであって、この家庭全体で見ると、まだまだ十分な資産と月収があ
る裕福な家庭なんですよね。
病気や貧乏な人以上に、個人資産をたくさん持つメンバや、がんがんお金を稼いでいるメンバもいるのですから。


しかし、最近、ますますこの家族の高齢化が進んで、病気・障害・貧困の人が増えてきて、この家庭共有の財布からますます出費が増えてきたため、借金がますます増えて、かなりヤバくなってきました。
また、当面は家族の収入増(経済成長)を目指すことで、この借金問題を解決しようとはしてますけど、働き手が増えそうにないため、将来の収入増をあてにして借金が返せるという見込みそのものが甘いのじゃないのかという空気になっています。


そのため、月収から家族共有の財布への徴収率(税率)を引き上げようという議論が出てきました。


そして、税率を引き上げるのはいいのですが、税金のかけ方には、さまざまな方法があり(所得税、消費税、相続税キャピタルゲイン課税、など)、どの方法をとるかによって、家族のどのメンバがより多く徴収されるかが異なります。


このとき、若い家族に負担をかける増税方法にすると、事態はますます悪化する可能性があります。
なぜなら、現代の若い家族は、地球村全体の労働環境の競争激化によって、過酷な戦いを強いられるからです。


この、高度に競争的な、グローバル知識経済で勝ち抜くには、単に激しく働くだけでなく、絶え間なく勉強し、絶え間なくスキルアップし続けなければ、収入は増えていくどころか減ってしまいます。インド、中国、ベトナム、フィリピンなどの、勉強熱心で、向上心の塊で、ハングリースピリッツのあふれる、安い賃金でも喜んでハードワークする労働者と、賃金においても、知識・スキルにおいても、競争にさらされるのです。


ただでさえ、そういう過酷な戦いで疲弊しているのに、さらに負担をかけると、若い家族は、余裕が無くなり、知識社会で生き抜くために、スキル獲得や起業などのために投資する余裕(自宅での勉強時間の確保、アフターファイブの専門学校、留学、資格取得、会社設立資金など)がそがれたり、また、子育てをする余裕が無くなったりして、子供を産まなくなり、将来の働き手がますます減って、ますます借金が膨らんでしまうおそれがあるのです。


もちろん、この高度に競争的な市場経済になってしまったのは、この家族の誰が悪いわけでもありません。それは、単なる環境の変化にすぎません。
でも、その環境変化は、現に起こってしまったのです。そして、起こってしまった以上、新しい環境に適応しなければ、将来の収入が怪しくなるのです。
そして、その環境に適応するためには、働き手である、若い家族の負担を増やすのはあまり賢明ではないのではないでしょうか。


ですから、税率を上げることで、家族共有の財布の借金問題に対処しようとするなら、所得税や消費税のように、若い家族の負担を増やすようなものではなく、現在最前線でがんばっている若い働き手の負担を増やさないような、たとえば相続税のような種類の税を増やすのが賢明かも知れません。
なぜ相続税なのかというと、長寿命化で、遺産を相続する家族もすでに年老いて現役を退いているだろうからです。


ただし、この家族は、冷酷なまでに超個人主義であるため、昔とは比べものにならないほど過酷となった戦場の最前線で戦っている若い家族がどんなに疲弊していようと、年老いた家族は、そんなことにお構いなく、「どうしても税を増やさなければならないのなら、所得税や消費税にしろ」と主張するかもしれませんが。


そして、この家族の共有費の徴収方法は、家族会議で決まり、家族会議は、多数決で決まります。
そして、高齢化で、年老いて前線から遠ざかったか、遠ざかりつつあるメンバが、多数派になってきているのです。どんな意思決定がなされるか、推して知るべしです。