アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する


多くの人が
グローバル化の中で、わたしの賃金は今後どうなっていくのか?」
「そもそも、日本人の生産性が高いから日本人の賃金が高いのか?」
に興味があります。


このため、「日本人の賃金と生産性との関係」を論じる記事は大量にブックマークされ、人々の注目を浴びます。


そして、その注目されぶりを見た山形氏と池田氏は、それぞれ、関連記事を書き、やはり大量にブックマークされ、人々の注目を浴びました。


山形氏は、「生産性の話の基礎」という記事で、「おまえらは、経済学というものがまるでわかってないバカばかりだ。オレが生産性という概念の基礎の基礎を教えてやる!」という調子で、たくさんのたとえ話やジョークを交えながら、かなり長い記事を書いています。そのロジックの骨格だけ取り出すと、以下のようになります。

トヨタ帝人などの製造業の生産性が高い → 日本社会の平均的な生産性が高い
→ 労働力の需給バランス → 個人の能率 → 日本のウェイトレスの賃金が高い


そして、池田氏は、その山形氏の記事に対して、「生産性をめぐる誤解と真の問題」という反論記事を書きました。
池田氏は、その記事の中で、山形氏の記事を「これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしい」とコテンパンにこき下ろしています。ついでに、追記のなかで、弾小飼氏の記事を「山形氏に輪をかけてナンセンスだ」と評しています。*1
池田氏は、記事の中で労働の限界生産性の概念を持ちだしていますが、経済学を少しでもかじったことのある人ならすぐにわかるように、限界生産性の概念自体は今回の議論とは直接関係ありません。池田氏の記事のロジックの骨格だけ取り出すと、以下のようになります。

日本の所得水準が高い & 国際競争が不完全
→ 日本のコーヒーの値段が高い
→ 日本のウェイトレスの賃金が高い
→ しかし今後は国際競争の不完全性が克服されていくので、ブルーカラーの賃金が下がり、その結果ウェイトレスの賃金も下がる。


要するに、山形氏の主張は、「日本人の賃金が高いのは、トヨタ帝人などの製造業の生産性が高いからだ」というものです。
また、池田氏の主張は「日本人の賃金が高いのは、対人サービス業が国際競争に晒されないせいだ。しかし、今後は国際競争に晒されるようになるので賃金が下がる。」というものです。


ここで、抑えておくべきポイントは、池田氏も山形氏も、どちらも基本的な経済概念をほとんど理解している、ということです。おそらく、二人とも、リカードベンサムケインズシュムペーターサミュエルソンなどの古典はもちろん、最近のクルーグマンスティグリッツやなんかも一通りは理解しているでしょう。支持不支持は別として。*2


また、山形氏や池田氏の過去の記事を見てわかるとおり、山形氏や池田氏の記事のほとんどは、確かな知識と広いアンテナと鋭い分析に裏打ちされた、クオリティーの高いものです。


だから、当然のことながら、どちらの記事も、確かな知識と鋭い分析に裏打ちされた記事であることが予期されます。


にもかかわらず、池田氏は「これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしい」ということを言うわけです。
面白いですね。


そして、さらに輪をかけて面白いのは、この二人ともが、お互いの知識レベルが高いのを薄々感づいているということです。
つまり、相手が経済概念をそれなりのレベルまで理解していることを知っていながら、「これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしい」ということを言うわけです。


もちろん、だからと言って、彼ら二人のロジックに穴がないのか、というと、そんなこともありません。


たとえば、山形氏は、

あなたがサービス業/第三次産業なら、あなたの生産性はスーパー貧困なカンボジアの同じ業種の人と大差ない。

とか、

トヨタが、松下が、帝人が、すさまじい大量生産によってすさまじい生産性を実現しているからだ。こういうところの工場労働者たちは、後進国に比べて一人あたり数十万倍以上の生産性を実現している。

と書いているため、それを読んだ読者の中には、
「ボクの給料が途上国の人より高いのは、トヨタや松下の工場労働者のおかげなのか」
と思ってしまう人がいるでしょうが、それは、ちょっと違います。


これは、「工場労働者」の生産性と言うより、「工場」の生産性の違いなんですよ。
ようするに、山形氏は、経済学で言うところの「資本の生産性」と「労働の生産性」を分けて説明してないために、話がおかしくなってしまっているんですね。


ウェイトレスさんの生産性というのは、ウェイトレスという「労働」の生産性です。
一方でトヨタの生産性というのは、トヨタという企業体の生産性で、トヨタで働く労働者の生産性とは別物なんです。


そして、日本とベトナムにまったく同じ工場をつくり、日本の工場で働く労働者の生産性と、ベトナムの工場で働く労働者の生産性を比較すると、それほど劇的な差は出ないんですよ。
その辺は、工場労働者だろうが、サービス業だろうが、同じなんですよ。


だから、山形氏のロジックで「なぜ、日本人の賃金はベトナム人よりも高いのか?」という質問に答えるには、
「なぜ、生産性の高い工場が日本にあって、発展途上国にはないのか?」
ということを明らかにしなければ、質問に答えたことになっていません。


トヨタ帝人の工場労働者がすごいから日本人の賃金が高いのかぁ。」
で思考停止するのは、ちょっと違うかな、と。
ましてや、そこから、
「じゃあ、もっと工場労働者を尊敬しなきゃなー。」
と考えてしまうのは、もっと違うんじゃないの、と。


そもそも、資本自体は比較的自由に国境を越えられるのですから、山形氏のロジックからいうと、ベトナムに資本を投下して、日本と同じくらい生産性の高い工場をじゃんじゃん作れば、日本人とベトナム人の賃金は同じになるはずです。製造業の賃金だけでなく、社会全体の平均賃金がすぐに同じになるはずです。


そして、そのロジックでいけば、最初のうちは中国やベトナムでは人件費が安いですから、同じ工場なら、日本よりも中国やベトナムに作った方が、資本の利回りが良いはずですから、資本はどんどん発展途上国に投下され、日本と中国の生産性格差は急速に縮まるはずです。


しかし、現実には、それはゆっくりとしか進行していません。


たしかに、中国にもベトナムにもたくさん工場は造られていますが、その多くは、高級品ではなく、安物を生産する工場設備です。
そのため、たとえ、単位時間×労働者あたりに組み立てる製品の個数が同じでも、結果として、中国やベトナムの労働者の生産性は低くなってしまうのです。


そして、なぜ、中国には安物を生産する工場しか建てられなくて、高級品を生産する工場は日本にしか建てられないのか、その理由のほうが、日本人の賃金を決定する、より根本的で重大な要因なのです。


その理由は、インフラだの政治リスクだの産業集積だの設計ノウハウだの経営層の日本人びいきだの愛国心だの、いろいろ考えられると思います。


たとえば、水や電力の供給が不安定だったり、いつ、中国政府の意向次第でビジネスの風向きが変わるかわからないというようなリスクをかかえたままでは、会社のコアの部分を中国やベトナムに移すのは躊躇します。


また、産業集積というのは、自分の会社のビジネスを行うために必要な他の要素の多くが、近場(距離的な近さだけでなく、言語、文化、通貨などの障壁がないこと)でスムーズに調達可能だと言うことです。つまり、関連産業が一カ所に寄り集まっていること自体が、価値を生み出しているわけです。
そして、その集積していることのメリットを享受するため、ますます多くの産業が集積し、集積効果は雪だるま式に膨らむわけです。


それと、たとえば、日本の製造業は、製品の設計を日本でやるとき、その製品を効率よく組み立てる製造のプロセス設計も合わせてやるようになっています。その方が効率がよいからです。そして、それらを日本の工場で十分に試し、上手くいってから、そのコピーを海外の工場で実装します。
その場合、日本の工場は、鯛焼きの型であり、海外の工場は単なる鯛焼きにすぎません。その場合、生産している付加価値は、はるかに日本の工場の方が大きいことになります。つまり、日本の工場は、単なる製造工場と言うより、設計の延長線上であるプロトタイプの役割も担っているために、多くの価値を生み出しているわけです。


また、日本人が中国に工場や支社をつくると、その上層部は、たいていが日本人が占めます。
日本人よりも有能な中国人がいたとしても、その中国人の地位も賃金も、日本人よりも低いことは、ごく普通にあります。


これは、もちろん、トヨタや松下の経営層が、日本人スタッフと言語や文化や価値観や倫理観を共有しているためであるという部分が多く、単純にえこひいきしているのだ、ということは言えません。
つまり、単なるえこひいきと言うより、言語や文化や価値観の壁が、日本が作り出した富が海外へ流出するのを防いでいる部分があるわけです。


また、国益を意識して、おいしいところを中国に持って行かれまいとする、愛国心のようなものが動機である部分も大きいでしょう。


これらの要因は、主に、二つに分類できます。
一つは、価値創造における強みです。日本の製造業が生み出す価値の源泉です。
それは、インフラだったり、政治的安定性だったり、産業集積だったり、鯛焼きの型だったりします。


もう一つは、価値の分配ゲームににおける強みです。
日本の製造業が創造した価値が海外へ流出するのを防ぐ要因です。
それは、言語や文化の障壁だったり、経営者の愛国心だったりします。


結局、日本人の賃金の高さを支えているのは、
「重要な価値を日本の障壁の中で生産 → それが海外へ流出するのを防ぐ」
という二重構造だということになります。


もちろん、あくまで、これは構造の一側面にすぎません。
他にもたくさんの要因や側面があり、こんな走り書きでは、穴だらけで、話にならないほど不十分な考察です。
さらに、これらの要因が、これからどうなっていくのかは、また別の話です。
そもそも、今後も製造業が日本を支える中心的な力となるのか、すべきなのかは、別の議論です。




一方で、池田氏のロジックは、どうなんでしょうか。


池田氏自身のコメント欄への書き込みから、池田氏がブックマーク数をすごく気にしている様子がうかがえますが、
そもそも、ブックマークしている人たちは、
「賃金と生産性との関係」
に興味があるから、山形氏の記事をあんなにたくさんブックマークしているわけです。


ブックマーカーが知りたいのは、「なんで、日本人の賃金が中国人よりも高いのか」ということの全体構造です。
日本人の賃金を中国人の賃金よりも高くしている構造の骨格を知りたいわけです。
だから、山形氏は、その構造を説明するために、あの記事を書いたわけです。


そして、それに対して池田氏は「賃金は労働の限界生産性から決まってくる」という説明をしています。
確かにこれは、「賃金と生産性の関係」の「経済学的に正しい説明」にはなっています。
しかし、ブックマーカーの関心は「今後日本人の賃金はどうなってくの?というか、わたしの賃金はどうなっていくの?賃金を維持したり増やしたりするにはどうしたらいいの?生産性を上げればいいの?」ということです。
そして、「賃金は労働の限界生産性から決まってくる」ということは、
そういう観点からすれば、枝葉末節でしかありません。


また、池田氏は「国際競争が不完全なため」であるとも説明しています。
しかし、問題は、国際競争の不完全性が具体的にどのような構造によって支えられているか、ということです。その具体的な構造抜きに、単に「国際競争が不完全なため」というだけなら、それは、ほとんどのブックマーカーにとっては、耳新しい話ではありません。
さらに、「国際競争が不完全なため」という要因は、日本人の賃金を決める全体構造を支える必要条件の一つに過ぎません。
当然のことながら、弾氏も山形氏もそんなことぐらい、十分承知しているでしょう。


要するに、いつもは確かな知識と鋭い分析でクオリティーの高い記事を書いている池田氏が、
なぜか今回だけは、激しくピントのズレた記事を書いたわけです。
そして、その上で、「オレ以外の人間はどいつもこいつも経済学がわかってない」ということを、書くわけです。
経済学という権威を振り回しながら。


池田氏がこのような振る舞いをする理由は、二つあります。


一つめの要因は、ブックマーカーの多くが、権威主義者だということです。
すなわち、自分の方が経済学の知識がしっかりしているという印象をブックマーカーに与えることができれば、
ブックマーカーたちは、池田氏の記事の内容を漠然としか理解できないまま、
「どうやらこっちの方が正しいんだな」と考えるため、
内容のピントがずれていても、自分を支持するブックマークコメントをたくさんもらえるからです。
また、ブックマーカーは、経済学の知識のある人の記事をブックマークすることで、「自分は経済学的に正しい記事をきちんと見抜くことの出来る人間なのだよ。」ということを、周囲に示すことができます。もちろん実際には、「単に経済学的に正しいだけで、議論的に見てピントのずれた記事」に肯定的なコメントを残すと、わかっている人たちからは「ああ、そういう人なんだな」と思われちゃいますけど。


もう一つの要因は、彼がアルファブロガーだからです。
アルファブロガーのアルファとは、進化人類学における、アルファメイルやアフファフィーメイルのアルファと同じです。


類人猿の群れにおけるアルファメイルとは、群れで一番地位の高いオス猿のことであり、ボス猿とは異なります。
昔は、ボス猿というものが群れを支配していると考えられていたのですが、
近年の研究から、群れの中には地位の上下があるだけで、全体を指揮するボスなど
いないということがわかってきました。


そして、群れの中の有力なサルたちは、自分よりも高い地位にあるサルに、強烈な嫉妬を抱きます。
とくに、ひとたび1位とか2位とか、頂上付近の地位を経験したサルの嫉妬は凄まじいです。


アルファブロガーたちの行動原理も、これです。
池田氏は、山形氏や弾小飼氏がたくさんのブックマークをもらうのを見て、
あまりの嫉妬で居ても立ってもいられなくなったのです。


もちろん、池田氏も、山形氏も、弾小飼氏も、みな異口同音に、
「わたしは、みんなが間違ったことを信じてしまってはいけないから、
真実を知らせるために記事を書いたのだ。」
と言うでしょう。


もちろん、それは本当です。
しかし、それ「だけ」が動機なのかというと、それは違います。


今回、これらのアルファブロガーたちを突き動かした動機の中に、嫉妬などなかった、
というのは、大嘘なのです。


そして、アルファブロガーが他のアルファブロガーに嫉妬するのは、動物学的に、ごく自然なことなのです。
そもそも、人間とチンパンジーは、遺伝子的にも、そんなに大きな差があるわけではないのですから。


人間がチンパンジーと分かれてからの数百万年ほどの間に、
人間の本能の中から、嫉妬を無くしてしまうような淘汰圧などありませんでした。
十分な教養のある人は、その教養の力で、嫉妬心を打ち消すことができるのだ、
というのも迷信です。
むしろ、彼らは、嫉妬に満ちた行動を、教養を隠れ蓑にして、巧みに誤魔化します。


実は、ネットのブログ空間を盛り上げている、最大の原動力となっているのは、
この「アルファゲーム」なのです。


実際、池田氏にしろ、山形氏にしろ、弾氏にしろ、かれらアルファブロガーの量産するコンテンツのクオリティーは、とてつもないです。
彼らが、これほどの価値あるコンテンツを、無料で気前よく放出してくれるのは、いったいなぜなのか?
それを不思議に思ったことはないですか?


実は、彼らを突き動かしているのは、猿の群れの中で、より多くの猿に支持されたときに、上位の猿の脳内に満ちあふれる快感です。
また、自分以外の上位の猿が、他の猿たちに支持されるのを見て感じる、嫉妬心です。


しかも、その嫉妬心は、自分がその上位の猿よりも強い、ということを確信したときに、もはや抑えきれなくなり、猿を実力行使へと駆り立てます。


今回の場合で行くと、自分よりも経済学の知識のない者が、経済問題の記事を書いて、多くの人々にブックマークされるのを見て、嫉妬し、しかも、オレの方が経済学の知識がはるかに上なのだから、あの生意気な猿をぶちのめして、オレが取って代わることが出来るはずだ、と、無意識のうちに考え、その衝動に突き動かされてあの記事を書いたのでしょう。


多くの場合、それは、クオリティーの高い記事の生産につながりますが、あまりに嫉妬心が燃え上がりすぎると、相手を貶めることばかりで頭の中がいっぱいになってしまい、記事自体のコンテンツのクオリティーがおろそかになってしまうのです。


それが、今回の池田氏の記事内容がスカスカだった理由なのです。

*1:この劇場も「最近みた中で断然ひどかった」と評されていますが、この劇場の性質上、その数百倍の罵倒コメントをつねにいただいておりますので、いまさら罵倒が一言ぐらい増えたところで、とくになんとも思いませんです。この程度でいちいち怒っていたら、いままでに100回以上怒り死にしているでしょう。

*2:ちなみに、オイラ自身は、クルーグマンスティグリッツの書いた一般向け書籍ぐらいは読みますが、経済学については、さっぱりわからんですね。